FacebookやGoogleの将来は大学にある——〝制約を受けない研究〟がもたらすイノベーションの可能性

by ゲストライター ゲストライター on 2013.12.14

※本稿は、デジタル・ネイティヴ・ニュース「Quartz」からの転載である。転載にあたっては、原著者グライ・オズカンからの許諾を得た。 The Bridge has reproduced this under the approval from the story’s author Gülay Özkan.


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今週、Facebook 創業者の Mark Zuckerberg の姿は、世界的にも名高い、ネバダ州 Lake Tahoe で開催された、神経情報システム会議(NIPS)にあった。このイベントで、彼はニューヨーク大学の Yann Lecun 教授や、世界的にも権威のある深層学習や機械学習の分野の科学者らに加わってもらい、Facebook 人工知能研究所を開設することを発表した。ハーバード大学を中退した Zuckerberg が、この高名な会議を訪問したことは、学界にとってはショックなことだったようだが、これもまた大きな変化の一つである。

一見、Zuckerberg のようなパッションに溢れた起業家が率いる新しいテックビジネスは、大学で起きていることではなく、社会を変化させる新しい力のように思える。しかし、彼のような起業家が、研究がプロダクトやサービスを売ることを意図したものではないと世の中に認めてもらうには、ベル研究所の研究者 Andrew Odlyzko が使った「制約を受けない研究(unfettered research)」という言葉に象徴されるような、長年にわたる研究が求められるだろう。

大学を去り、民間企業やスタートアップに活路を見出す人々

昔から新しいアイデアや技術の先頭に立って来た大学は、学術が民間企業やスタートアップに融合されることを展望している。アメリカ・バイオ化学分子生物学会の報告によれば、資金面での制約から、5人に1人の科学者がアメリカを離れている。確かに、人材が豊富な企業やスタートアップは、現実的なキャリアの選択肢だ。ニューメキシコ大学コンピュータサイエンス学部の Terran Lane 助教授は最近 Google に入ったが、彼のような人物であれば、Google が良いインパクトを作り出せる場所として、学界は納得するのだろう。

「論文発表か死か(Publish or perish)」というのは、多くの大学で耳にする言葉だ。ヒッグス粒子で有名な Peter Higgs は、最近の Guardian 誌のインタビューで、「現代の学界のシステムに当てはめれば、私はよく仕事をする種類の人物ではない」と語っている。大学教授は論文の発表を続けることが期待され、これが現代の大学文化において、似たような変化をもたらしているのではないかと彼は疑っている。学界では、基本的にどの学術誌に何本の論文を発表したかで評価される。論文を〝つまみ食い〟し、掲載をボイコットさえ始める出版社が現れ、学界は深刻な問題に直面している。後にこの話は、Economist 誌が「学界の春」と評した。

さらに言うなら、学界は現状を維持したままだ。特にアメリカでは、凡人が評価され、可能性の高い研究や学際研究が促進されず、大学は株式会社化されつつある。これらは、あらゆる研究環境において、イノベーションのブレイクスルーを阻害する要素だ。

Google の選択

では学界以外では、どこでブレイクスルーが生まれるのだろう。その一つは Google X かもしれない。運転手の要らない車や、忌まわしい Google Glass が開発された研究所だ。この研究所の存在によって、Google は昔ながらの学術的な環境から、テック研究の世界のプレーヤーへと変貌を遂げることができた。

Guardian 誌に、シリコンバレーのストラテジスト Michael Mace が Google がなぜこの方法をとったかについて話を寄せている。

Google は、ビジネス界のルールやロジックには従っていないように見える。明らかにチャンスのあるものを見過ごし、一方、ブラックホールのようなよくわからないものに巨額の投資をする。そして、声高にプロダクトの開発中止を発表する。これは、普通の企業なら恥ずかしがることだ。Google のエンジニアリングの考え方が、昔ながらのビジネスとは根本的に異なっていることを、記者やアナリストは理解していないように思う。それはまさに明確なパラダイムであり、科学を学んだことのある人の多くには、よくわからないだろう。中止に終わった実験を発表することで、Google は失敗を認めているのではない。〝科学の原理原則(訳注:研究には失敗が付き物だということ)〟が社内で機能していることを、世間に示しているんだと思う。

Google の2012年の研究予算は60億ドルだ。これは、アメリカ全分野の学術研究で使われる金額のほぼ1割である。アメリカ全体の民間研究予算は2,796億ドルで、これは連邦政府の研究予算の倍額に匹敵する。Google だけが金を研究に注ぎ込む会社でもなければ、ましてや最大の投資家でもない。Samsung、Microsoft、IBM などはさらに多くのお金をつぎ込んでいる。

これらの金額を見れば、大学以外の場所に、エンジニアリングが新しい研究の機会を創り出していることがわかる。少なくとも、短期的な目標達成を望む企業に関連した研究についてはそうだ。しかし、大学にとっても、そのような制約を受けない研究は必要だ。今日、研究開発で働く人々の多くが、単科大学卒業であることを忘れないでほしい。

「制約を受けない研究」の象徴、AT&Tベル研究所

テック界には、ベル研究所が制約を受けない研究で資金を調達した事例がある。カナダのニュース記者 Christopher Byron は、Time誌 の 1982年の号で次のように述べている。

ここでの研究からは、ベル研究所も AT&T も、売れるものは何一つ見出せなかった。

1960年後半に紹介された、映像がやりとりできる電話 Picturephone にしてみても、結局失敗した。

ベル研究所の研究者 Andrew Odlyzko は次のように語っている。

アメリカやヨーロッパでは、近い将来のうちに、制約を受けない研究へ回帰できる可能性は薄い。この流れは、専門的な市場分野において、その傾向が強いと思う。

Jon Gertner は自著「The Idea Factory: Bell Labs and the Great Age of American Innovation(邦題:世界の技術を支配するベル研究所の興亡(文藝春秋 刊・土方奈美 訳))」の中で、次のように書いている。

(編注:以下は前出の訳書からの引用ではなく、独自に訳したものです。)

企業が大きなブレイクスルーに価値を見出すのは、困難になり、そして必要なくなってしまった。その結果、将来は、長期よりも短期で考えるものになった。ビジネスにおける進歩は、大きな跳躍や前進ではなく、むしろ、短距離走の繰り返しによって、もたらされるようになるだろう。

デザイン・アートと、テクノロジーの融合

以前、Quartz の記事にも書いたように(日本語訳)、デザインもテクノロジーにとって極めて重要な要素だ。イノベーションにブレークスルーを起こす上で、デザインは本質的に人が求めるものだからだ。したがって、ロードアイランド造形大学の John Maeda 教授が、デザインに特化した VC である Kleiner Perkins でデザインパートナーに就任したのは、学界から民間企業への必然的な転身だったと言える。

デザイン特化型のスタートアップや研究中心の企業は、比較的自由に意思決定ができ資金も豊富であることから、社会を変革させるプレーヤーを牽引している。この点において、ベンチャーキャピタリストは、スタートアップ界を左右する立場に居る。Ernst & Young によれば、アメリカのVC投資は2011年が350億ドル、2012年が297億ドルだった。これは、アメリカの学界の研究予算のほぼ半分の金額だ。「制約を受けない研究」が広く認められるようになれば、社会を変革させるプレーヤー達が、テクノロジーにデザインやアートを持ち込むことで、変化をもたらすことができるだろう。

Steve Jobs は次のように言っている。

シリコンバレーを作ったのはエンジニア達だ。彼らはビジネスを学び、他にも多くのことを学んだが、クリエイティブで賢明な人々と協業し、人類の問題の多くを解決できれば、人としての信念を手に入れることができるだろう。私は強くそう感じている。

「制約を受けない研究」についても、同じことが言えるのではないだろうか。Google や Facebook のような企業が、将来のために大学を支援できると私は考えている。


著者紹介:グライ・オズカン

グライはイスタンブールを拠点とする起業家。彼女の寄稿のこれまでの日本語訳はこちらから。Twitter アカウントは、@gulayozkan

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