時に音楽は言葉より通じる:子どもが生演奏に当たり前に触れられる世界を目指す「みんなのことば」渡邊悠子さん【後編】

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「未就学児の子どもに音楽と触れ合う場を年間100回以上届ける、NPO「みんなのことば」渡邊悠子さん」の後編をお届けします。【前編】はこちら。

Minna-no-Kotoba-concert「みんなのことば」のコンサート模様

年間100回のコンサートに出向く同じ想いを持った仲間

三橋:みんなのことば」は、どれくらいの人数と頻度でコンサートをやられているんですか。

渡邊:いまは音楽家が約20人です。多いと年間100回くらいコンサートをしています。幼稚園や保育園のお休みもあるので、多い時は週に4、5回、コンサート活動が全くない週もあります。

三橋:まだ決して多くはないけれど、同じ想いを持つ仲間が集まって5年間続けられているんですね。

渡邊:そうですね。NPOとはいえ、運営していくためには利益をちゃんと出していかなきゃいけないんですけど、気持ちの部分が先行してしまう。そこがNPOのすごく大きな特徴だと思うんですけど。気持ちで仲間が増え、気持ちで走れるというか(笑)本当にこの活動に価値があると信じて、ライフワークのように考える人が集まって、ここまでこれました。

三橋:活動資金は寄付で集める感じですか。

渡邊:寄付と助成金です。あとは、私が以前の会社でやっていたようなお金をいただく生演奏の場もあるので、そこの収益をうまく活動費に充てたりしています。

バリバリ働いてお金持ちになりたかった学生時代

三橋:もともと、音楽をご自身が習われていたりしたんですか。

渡邊:3歳から中学生までピアノを習っていたので、合唱の伴奏とかの形では音楽に関わってきたんですけど、完全に趣味の世界です。でも音楽はずっと好きでした。

三橋:インターンから始まったお仕事ですが、いつか会社をやりたいと考えたことは?

渡邊:まったく考えてなかったです。でも、昔から普通のお勤めは考えられなくて、とにかくかっこよく働きたいって思っていました。小さい頃から本当はスチュワーデスになりたくて。すごくミーハーで、がむしゃらに働いてお給料を人よりも多くもらって、山手線の内側に住むぞ!って(笑)

三橋:全然そんな感じがしない(笑)

渡邊:わたしは千葉で育ちました。千葉って中途半端に田舎で、東京は近いけどすごく遠い存在で。だから、早く都内に住みたい!と思って大学でもアルバイトをたくさんしていました(笑)結局インターンから社長になった会社も、インターンだから基本給はないけれど、成果を出した分はちゃんと報酬としてもらえる仕組みだった。だから、すごく頑張って社員以上の給与をもらってしまうこともありました。憧れの都内への引っ越しもして。

三橋:すごい。でも何かが大きく変わったんですね。

渡邊:その時にけっこう満足したのかもしれないですね。学生にしては一等地のいいマンションに住んで、美味しいものを食べて。仕事が忙しい中でも充実していて。その中で、子どもと音楽という自分のミッションみたいなものに出会って、自分の生きていく価値がそっちにシフトしました。

高校の交換留学で実感した「音楽は言葉より通じる」

三橋:そのミッションを見つけるまでに道を悩んだことはありましたか。

渡邊:仕事も音楽家の派遣というビジネスもすごく楽しかったけれど、自分が立ち上げた会社ではなかったし、面白さを見失った時期もありました。会社を立て直すところまでは必死だけれど、立て直してからの方向性が見えなくて真っ暗闇に入ってしまったこともありました。なんでこの会社でインターンを始めたか、何が楽しくて何に感動したかをひたすら振り返って抜け出しましたね。

三橋:これまでの人生で、大きく影響を受けた人や経験を教えてください。

渡邊:高校生の時に1年間、アメリカのミネソタ州っていう人口500人くらいの田舎町に交換留学したことです。あの経験があるのとないのとでは、人生が違っていたと思う。交換留学で世界中の留学生が来ていて、クリスマスの時に「あかはなのトナカイ」をそれぞれの国の言葉で同時に歌ったんです。音楽ってすごいなって実感しました。

ピアノが弾けたから、合唱のクラスの伴奏なんかをすることもあって、そこで友達がすごく増えたりとか。音楽って、言葉よりも通じるなっていう経験をしましたね。

ホームステイ先で一家の大黒柱を看取ったこと

三橋:それが、みんなのことばのルーツなんですね。

渡邊:そうなんです。あとは、ホームステイさせてもらった家族が本当に素敵な人たちで、自分の子どものように接してくれた。でも、ちょうどその時に一家の大黒柱であるお父さんがガンで亡くなって。そんな大変なときに邪魔かなって遠慮しながらも、なにか役に立てればと看病したり家族のご飯を作ったりしました。

必死に動いた結果、家族との絆がすごく深まったり、お父さんがすごく喜んでくれたりっていう経験は大きかったですね。純粋に誰かを思って動いた時の、気がついたら返ってきたものの大きさとか。すごく貴重な経験をさせてもらいました。

三橋:その経験が今にもつながっている?

渡邊:そう思います。結局1年も留学させてもらったのに英語を一切使わない仕事で、もったいないなって思ったこともあるけれど、今振り返ったら全部そういう経験が活きているなって思います。

子どもが生演奏に触れることが珍しくない世界をつくりたい

三橋:人の気持ちがベースにある活動には、人を巻き込む能力が求められると思うんですが、その点で何か心がけていることはありますか。

渡邊:幸い、音楽家の人とか、自分の意志を持って仲間として活動してくれる人が増えてきていますけど、わたし自身はその巻き込むところはすごく下手だと思っています。でも感じるのは、人に頼る時は頼ったり、思っていることをいっぱい話したり、そういう本当に基本的なことの積み重ねだってことです。そうすることで、みんことの根幹にある哲学みたいなものが浸透して行くというか。

三橋:普段、音楽家の皆さんとはどうコミュニケーションをとっていますか。

渡邊:コンサートの現場や打ち合わせが主ですが、まだ小さな団体なので、とにかく一緒に活動をしています。その中ですごく大きかったのは、震災の後にみんなで都内でチャリティコンサートを開いて、いただいた寄付金や助成金を使って東北にコンサートを届けに行ったことです。岩手や宮城の沿岸部で、避難所や仮設住宅の集会所とか、プレハブに移った幼稚園とか保育園とか。1日に5回コンサートをしたりしながら、4泊5日を1台の車で移動して、ずっと一緒だったので。

三橋:その経験は結束力がすごく高まりそうですね。

渡邊:本当にそうなんです。音楽って、それこそこんな非常時に何ができるんだろう。うるさい、今はそれどころじゃないって言われるかもしれないって覚悟をしてみんなで行って。でも皆さんに喜んでもらって、みんなで笑ったり、涙を流したり、一緒に感動を味わうことができた。仲間の絆が本当に深まったし、音楽家自身も改めて、「音楽の力」を自分の力として感じられたことは大きかったと思います。

三橋:最後に、5年間みんなのことばを続けてきて、この先どうしていきたいですか。

渡邊:コンサートを年間100回実施していても、まだまだ生の音楽を体験したことがない未就学の子どもがたくさんいます。わたしたちができる最大限のことはしていきつつ、もっと多くの人と一緒に、子どもが生演奏に触れることが珍しくない、それが当たり前の文化を作れたらいいなと思っています。そして、日本の若い音楽家たちにも、そこが新しい仕事の場にできるような世界にしていきたいです。

三橋:今日はどうもありがとうございました。

Minnna-No-Kotoba「みんなのことば」の渡邊悠子さん(左下)と演奏家の皆さん

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