Diggの共同ファウンダーであるJay Adelson氏:「神話的な教訓に惑わされるな」【FailConレポート】

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Digg-Jay-AdelsonDiggの共同ファウンダーでシリアルアントレプレナーのJay Adelson氏

6月18日にOpen Netowork Labで開催された「FailCon Japan」。そのキーノートスピーカーとして登場したのが、ソーシャルニュースサイト「Digg」の共同創業者でシリアルアントレプレナーのJay Adelson氏だ。

「嵐を乗り切る方法はあるのか?2度の経済危機で2度の失敗から学ぶスタートアップの防衛術」と題されたキーノートで、同氏は過去8回の起業体験の中から2つの会社、「Digg」と「Equinix」に焦点を当てた。

「何もしない」というのもひとつの答え

bird-windowimage via. Susan

トークはまず、これから共有する過去の失敗のメタファーとして、最近自宅で起きたというあるエピソードから始まった。自宅の窓がだいぶ大きくて開放的なのだろうか。2週連続で、鳥が窓に激突するアクシデントが発生したと言う。

野生動物を保護することに慣れている彼の妻は、1回目は助けようと鳥に走り寄っていった。ところが、それを見つけた飼い猫が宙に舞い、鳥を口にくわえ、最終的には鳥を殺してしまった。

2回目に同じことが起きた時、妻は何もせずただ静かに鳥を見守った。すると、少しして鳥は自ら起き上がり、フラフラしながらも空高く飛んで行った。

Adelson氏は会場に問いかけた。1回目に鳥が死んでしまったのは、猫のせいなのか、鳥自身のせいなのか、それとも窓のせいなのか。例えば、窓にステッカーを貼るようなことをしていたなら、今回のような残念な結果にはならなかったのか。ここで学ぶべき教訓は何なのか。

「僕が言いたいのは、状況によっては、“何もしない”ということが答えかもしれないということだ。場合によっては今より手を緩めるべきなのかもしれないし、もっと力を入れるべき時もあるだろう」

Jay Adelson氏のシリアルアントレプレナー暦

何度起業すればシリアルアントレプレナー(連続起業家)と名乗ることができるのかは曖昧だが、Adelson氏は間違いなくそれだろう。過去8回の起業経験があり、現在も新しいプロジェクトに着手している。

最初に起業したのは1993年、米国初のインターネットサービスプロバイダーとなった「Netcom」を共同設立し、同社は1995年に上場。

1997年には当時IBMほどの規模だったというDigital Equipment Corporationに引き抜かれ、「AltaVista」という初の検索エンジンやWi-Fiを開発した。

その後、1998年に創業したのがEquinixだ。同社は今では世界で最も大きいデータセンター企業で、23ヶ国にオフィスを構え、2,000ヶ所以上にデータセンターを持つ。同社は2000年の夏に上場している。

さらに2004年、ソーシャルニュースウェブサイトの「Digg」をKevin Rose氏と立ち上げた。Diggにはウェブ上のコンテンツに投票する仕組みがあり、大衆が選ぶネット上の人気コンテンツが可視化される場として瞬く間に成長した。

その1年後の2005年には、Revision 3という米国初のインターネットTV局をローンチ。「Diggnation」といった人気の独自コンテンツを配信し、その後、Discovery Channelに買収されている。

「2010年には、SimpleGeoという位置情報サービスの会社を立ち上げた。アプリ開発者に対して位置情報を提供するような事業だったけれど、問題は時期がちょっと早かったこと。1年、いや1年半早過ぎた。2011年に事業を売却した」

そして最も最近では、2013年初期に「Opsmatic」という、チームの生産性向上のためのツールを開発する会社を共同設立。同社は現在も好調だが、創業時、契約書に「コミットする期間は1年間」とあらかじめ記載したのだと言う。

「僕はスタートアップを立ち上げることに中毒だから、最初からコミットする期間を限定して参加した」

パーティに氷の彫刻が登場したら要注意

Adelson氏は、こうした華麗なる過去の起業体験のなかでも、特に「Equinix」と「Digg」で経験した失敗に絞って話を進めた。

どちらも2度の経済危機の最中で事業を展開し、それぞれ異なる判断を下した事例なのだと言う。

まずは、世界最大のデータセンター企業であるEquinixの話から。1998年に共同ファウンダーと立ち上げた事業は、その後2年間で巨額の資金を調達し、Cisco、Microsoft、AOL、Dell、スタンフォードといった優良投資家が名を連ねていた。

データセンター構築には莫大な費用がかかる。ましてやそれを世界中に構築するのだから、資金がいくらあっても足りないくらいだと考えた。

「シリーズAで1200万ドルを調達して、その後もシリーズBで8250万ドルと次々に調達した。2000年にはシリーズCで1億ドルを調達して、その後もそれは続いた。まるでチャンピオンのような気分だったよ」

同社は2000年の8月に上場し、その3週間後、Adelson氏は30歳の誕生日を迎えた。たった2年間という短い期間でこのすべてをやってのけた自分たちが誇らしかった。

資金もあり、さらに追加調達することも可能で、顧客も大勢いた。インターネットの成長スピードは凄まじく、美しく巨大なデータセンターが次々と出来上がっていた。また彼らは、データセンターの構築からサービスの提供におけるまで、さまざまな特許を取得することも忘れなかった。

ところが2000年、ナスダック市場が崩壊。上場して手にしたはずの富が、実は紙切れに過ぎないことを思い知らされる。彼はその皮肉を、Equinixのパーティに展示されていたという氷の彫刻の写真を見せながらこう話した。

「ひとつ確かなアドバイスをするよ。会社が氷の彫刻をつくり始めたら、それはきっと悪い知らせだと思ったほうがいい(笑)それが美しければ美しいほど一時的なものだから」

景気後退でも投資を決断、後戻りはできない

Nasdaque Collapseimage via. Alex Proimos

時間をかけて徐々に起きた市場崩壊を予見することは誰にもできなかった。Equinixは、史上最悪のタイミングで上場してしまったのだ。

当時、新しいデータセンターの構築に既に投資していたし、ひとつのデータセンター構築には最低でも18ヶ月という期間がかかる。後戻りはできなかった。

ナスダック崩壊に拍車を掛けるように、その後テレコム業界が崩壊し、当時ナンバーワン企業と言われた優良顧客企業が次々に破綻していった。

こうした市場の落ち込みを受けて、3ヶ月に一度1億ドルを調達できる怖いもの知らずの時代から、一切の資金調達の道が閉ざされた。それでもインターネットは勢いを止めることなく成長していたが、誰も新たにデータセンターを買うことはなく、状況は絶望的だったと言う。

「2001年9月に、ニューヨークで見込み顧客と打ち合わせをしている時にCEOから電話がかかってきた。「100人解雇しなきゃいけない」と言われた。それは当時のEquinixの従業員の大半だった」

そして、火に油を注ぐように9.11のアメリカ同時多発テロが起きた。市場の崩壊、テレコム業界の崩壊、そしてテロリスト攻撃。企業によるITへの支出はぴたっと止まった。

「僕たちは、景気後退の時期に投資することを決めた。でもそれは間違った判断だった。もし、1年前にコストカットを進めていればどうにかなっていたかもしれないけれど、それも定かではない。もう会社は潰れたも同然だと思ったよ」

ところが、その後、奇跡が起こり、破綻直前に他のデータセンター企業との合併話が決まり、会社は救われた。当時抱えていた負債の80%(3億ドル)は株式に姿を変え、新たに3000万ドルの資金を得ることができた。

そのわずか1年後には、Equinixの株はナスダックで最も買いのストックになり、現在では世界中に数千人の従業員を雇用する世界一番のデータセンター企業になっている。

Diggの影の支配者はユーザーだった

Digg-20052005年当時のDigg (via. WayBack Machine

2004年にKevin Rose氏と立ち上げたのが、初のソーシャルメディアウェブサイトの「Digg」だ。Diggのアイディアを思いついたRose氏から声がかかったことで始まった。

翌年の2005年にはシリーズAで280万ドルを調達し、ユーザー数も数百万規模に成長していた。その後シリーズBも調達し、TechCrunchなどで買収のウワサ話が絶えないほど調子が良かった。

「Diggでは、いろいろな意味で新しい試みにチャレンジした。例えば、タウンホールにユーザーを集めて、ファウンダーに直接質問が出来るような機会を設けた。Twitterなんかが登場する前のことだから、当時は斬新だった。その後、2007年に企業として初めてAPIを公開した。朝起きて仕事に行く一番の理由は、Diggの濃いユーザーコミュニティだったね」

ところが問題が勃発する。2007年5月、当時はSONYのBlu-rayとHD DVDの規格争いが繰り広げられている最中。著作権保護機構で用いられるキーの暗号解除に成功した者が現れ、著作権保護コンテンツがDiggに流出し始めたのだ。

著作権保護機構から停止命令を受けたDiggは弁護士に相談し、そうしたコンテンツの取り下げを実行した。

この一連の動きに対してユーザーは黙ってはいなかった。「言論の自由」を訴え、1秒に1つ、禁止された情報を投稿することでDiggのサイトを占領したのだ。最終的に、Diggはユーザーの声を受け入れるしかなかった。

「この時に学んだのは、Diggを支配しているのは僕たちではなく実はユーザーだということだった。僕たちは、自分たちを超える、とてつもなく大きなものをつくってしまったんだ。判断は僕たちではなくユーザーにあった」

Google Disaster:億万長者になる…はずだった

この騒動の後、Diggへのメディアからの注目はさらに高まった。2006年〜2008年頃のメディア関係者にとって、Diggは格好のトラフィックマシーンだったからだ。

絶好調かのように思われたDiggに災難が降り掛かったのは2008年のこと。

「僕たちはGoogle Disaster(Google惨事)と呼んでいる。当時Googleにいたマリッサ・メイヤーから一本の電話がかかってきた。Google Newsを開発中で、一緒に組まないかと。Googleは巨大過ぎてちょっと躊躇したけれど、彼らと一緒になることは従業員にもユーザーにもメリットになると思った。金額の桁も違ったしね。いいエグジットかもしれないと思って交渉を進めた」

すべての交渉が終わって買収の合意に至り、Googleから条件規定書まで送られてきていた。ところが、忘れもしない2008年6月、お金が送金される前日になってGoogleは話を白紙に戻したのだ。

「あとちょっとで億万長者になるはずだった従業員や投資家に対して、それは夢だった、何事もなかったかのようにまた明日も仕事に来てくれと説得しなきゃいけなかった。でもこういう出来事があると、人は二度と元には戻れない。誰しも、「あの時もしも…」と考えずにはいられないからね」

景気後退を乗り越える唯一の方法はイノベーション

そんな惨事に見舞われた2ヶ月後、Diggはまったく新しい投資家から2850万ドルを調達した。チームも気持ちを切り替え、新たに登場したTwitterやFacebookとも上手くシナジーが生めるかもしれないと思っていた矢先に起きたのがリーマンショックだった。

「またしても市場が崩壊した。でも前回とは違った。Equinixの時のように構築途中のデータセンターはなかったし、Diggには既に何千万というユーザーがいたし、その数は日に日に増えていた。市場は崩壊したけれど、でもここは投資すべきだとCEOや役員を説得したんだ」

世界の市場は火の海で、ドットコムバブルははじけたが、それでもAdelson氏は投資を続けるべきだと判断した。ここで、Adelson氏は伝説的なIntelのCEOであるAndy Grove氏の言葉を引用した。

「こうした時期における私たちの哲学は、景気後退から逃れることはできないということ。景気後退に陥った時よりも強くなってそれを抜け出すには、新しいプロダクトと新しいテクノロジーが必要だ」

R.I.P. Good Times

RIP-Good-Times

こういう時だからこそ、イノベーションへの投資を止めてはいけない。周囲の人間を説得できたと思った矢先、Sequia CapitalのチェアマンのMichael Moritz氏が投資先のすべてのCEOに招集した。Sequia Capitalはシリコンバレー最大のベンチャーキャピタルだ。

「Michael MoritzがスタートアップのCEOに向けた行ったプレゼンテーションには、かなりビビった。目的は、変わりつつある市場についてCEOに注意を呼びかけることだった。「R.I.P. Good Times」と書かれたスライドを今でも覚えているよ。そう、溢れるような資金が手に入った“良き時代”は終わったんだって」

資金調達ができるなら今のうちにして、もし会社を売却できるなら今直ぐにでも売却しろと。そして、従業員を解雇して事業を縮小するようにアドバイスがされた。

この話を聞いた後も、景気後退のなかで投資すべきというAdelson氏の考えは変わらなかった。残念ながら、周囲の人間を説得することに失敗し、2010年4月にDiggに別れを告げた。

その後、残ったRose氏はVCの言う通りに90%のスタッフを解雇し、Diggをリニューアルしてもう一度やり直す計画だった。

「プロダクトシフトは超リスキーな判断だ。でも、VCは動くならデカく動くことを好む。片方では人員を削減しろと言い、もう片方では大きなリスクをおかしてプロダクトシフトを実施しろってね」

残念ながらその6ヶ月後、生まれ変わって登場したDiggは失敗に終わった。リニューアル後に迎えた初めての週末の間に、ユーザーベースは瞬く間にDiggからredditへと移っていった。

コンテキストがすべてである

Jay-Adelson-Digg

Adelson氏は、この2つのマクロ経済に揉まれる起業体験から何を学んだのか。最初のナスダック市場の崩壊では、景気後退にも関わらず投資を決めた結果、危うく会社が破綻するところだった。

2回目のリーマンショックでは、逆に縮小することをした。ところが、そのためにイノベーションのサイクルが減速し、素晴らしいチャンスを失った。このイノベーションの停止こそが、事業をダメにした何よりの理由だったと振り返る。

「一度目の失敗を踏まえて、それを活かして二度目の判断を行えると思った。でも、結局そんな風に応用することはできないんだ。ここで学ぶべきは、「コンテキストがすべて(状況次第)」ということだと思う」

大切なのは、細部の情報よりも「全体像」である。周囲で起きていること、その時の状況を適切に把握することだ。とはいえ、危機の最中で冷静に全体像を見ることは困難をきたす。

「以前の経験に比べてみたところで、結局コンテキストが違うんだ。大切なのは、自分の直感を信じること。データを見て、市場で何が起きているか、自分の会社に何が起きているかを見て、ベストを尽くして判断を下す。過去に基づく神話的な教訓に依存すべきじゃない」

8つの起業体験でさまざまな失敗を繰り返し、たくさんのことを学んだと話すAdelson氏。何より学んだことは、失敗をしても立ち直り、再び立ち上がること。殴られても起き上がってまたやり直す。そして学ぶ。この繰り返しが今も続いていると言う。

マネタイズの前にユーザーを獲得できるか

最後に会場からいくつかの質問が寄せられたが、そのなかでもDiggのマネタイズに関する質問をご紹介する。

広告モデルで運営されていたDiggだが、Adelson氏はスタートアップ、少なくとも一般消費者向けのサービスに関しては最初からマネタイズの話をすることは順序が違うと指摘する。

「例えば、C向けのサービスを運営するスタートアップが、シリコンバレーの典型的なVCに会いにいったとする。僕たちのビジネスモデルはこうで、今後こうやってマネタイズしていくと話したとするよね。きっと笑われて終わる。その前に、ユーザーを獲得できることを見せてみろって言われるだろうね」

そう、Twitterのモデルだ。まずは膨大な数のユーザーを集められるか。そこで超成長を見せられるか。大事なのは、マネタイズできるかを証明することではなく、それについてきちんと考察し、そのポテンシャルを模索していることだと言う。

「Diggの場合、2006年頃、1ヶ月の訪問ユーザー数は3000万から4000万人だった。当時は世界でトップ50のウェブサイトに入っていた。そもそも広告モデルは爆発的なトラフィックがないと成立しない。地域で切っても、バーチカルで切ってもそれは機能しない。という意味では、広告モデルというあり方はあまり現実的ではない」

以上、日本で初めての開催となった「FailCon Japan」のキーノートの内容をお届けした。

2012年末に掲載されたMashableの「Jay Adelson is Looking for the Next Big Thing」という記事にあるように、Adelson氏の動きに業界人は常に注目している。

ミクロにとらわれ過ぎず、マクロを見る視点を忘れないこと。そして最後は直感だと話す彼の話が、少しでも多くの起業家の役に立つことを願う。

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