次なるシリコンバレーを目指す世界のエコシステムに捧げる物語:第1話「喜びの谷間」【ゲスト寄稿】

mark-bivens_portrait本稿は、パリと東京を拠点に世界各地のスタートアップへの投資を行っているベンチャー・キャピタリスト Mark Bivens によるものだ。英語によるオリジナル原稿は、THE BRIDGE 英語版に掲載している。(過去の寄稿

This guest post is authored by Paris- / Tokyo-based venture capitalist Mark Bivens. The original English article is available here on The Bridge English edition.


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「8人の反逆者(Traitorous Eight)」として知られる、フェアチャイルドセミコンダクターの創業メンバー

クイズ:以前「喜びの谷間 (the Valley of Heart’s Delight)」と呼ばれていたのは、どの地域だろう?

ヒント:マサチューセッツの Blackstone Valley でなければ、ベルリンでもない。東ロンドンでなければ、フランスのサクレーでもない。

カリフォルニア州北部サンタクララ郡に広がるリンゴ畑やオレンジ畑が、シリコンバレーにこのニックネームをもたらした。1953年、トランジスタを発明した William Shockley がベル研究所を離れて Mountain View に移り、トランジスタを作る上で、それまでのゲルマニウムよりもシリコンの方が優れた素材であるとの信念に基づいて、ショックレー半導体研究所(Shockley Semiconductor Laboratory)を設立した。Shockley は優れたエンジニアだったが、マネージャーとしてはひどい能力で、1957年には、敏腕エンジニア8人が彼のもとを去り、フェアチャイルドセミコンダクター(Fairchild Semiconductor)を設立した。このときのエンジニアの中には、Gordon Moore の名前も含まれる。

この話は魅惑的な物語の一部に過ぎないが、ヨーロッパからアジアまで、あらゆる国の政府がシリコンバレーのコピーを地元に作ろうとする歴史を振り返るにはタイムリーに思える。

私はシリコンバレーネイティブだ。約40年前、この業界に初めて入った時の私の住処は、ゴールデンゲートブリッジの北にある島 Tiburon だった。東京での短い生活の後、私は幼少の頃の多くの時期を Los Altos で過ごした。シリコンバレーの真ん中にある、眠気を誘うような住宅街だ。私は、Cupertino にある Steve Jobs や Steve Wozniak と同じ高校に彼らから約20年遅れて通った。

この地域を、我々はシリコンバレーと言っていた(「The Valley」ではない。当地に住んだことのない人が時々そのように呼ぶ)。しかし、子供のころは、我々は何かユニークなところに住んでいる、とは必ずしも思っていなかった。80年代のハイテクブームは絶頂で、それは(現代のように)モバイルアプリのデザインではなく、マイクロプロセッサのデザインに関するものだった。

HP、VisiCorp、Varian が、その時代でいうところの Google であり、Facebook であり、Box だ。起業家精神は自然発生的なものであり、誰かから学習を強要されるものではなかった。私は新聞配達の仕事を始めた15歳のとき、初めての起業家体験に遭遇したのを思い出す。それは近所に住む働き者の子供によるもので、彼は地元新聞の町内での配達を牛耳り、後に小遣いを渡して中学生を雇い配達を始めたのだ。San Jose Mercury News は大きなブランドだった一方、質の低い Peninsula Times Tribune は小売店にとって儲けが多いので、うまく補完関係にあった。

おそらく偏在する地震リスクのせいで(目の前をサンアンドレアス断層が走っていた)、その流行トレンドは、創造・拡大・破壊・再生というサイクルを繰り返していた。もちろん、テック企業をガレージでローンチしたギークたちの物語も存在するが、ドライクリーニング屋、ピッツェリア、アイスクリームパーラーといった小規模ビジネスを作った、ライフスタイル起業家の多くの事象について語られることは多くない。フェアチャイルドは後に半導体市場トップの座をインテルに譲り、アイスクリームパーラーはフローズンヨーグルトの店によってディスラプトされた。80年代に栄光を放った前出の3つのシリコンバレー企業においても例外ではない。今日でも HP だけは名前が残っているが、今日のビジョナリーカンパニーのリストを飾る象徴的存在とは言いづらい。

前向きなイノベーションの活動(特に最近では、東京をアジアのフィンテックハブにしようとする日本の計画)の中にあって、私は、シリコンバレーがいかにして現在の形になったか、それを研究してみることに価値があると提案したい。そこから得られる教訓には、日本に当てはまるものも、そうでないものもある。建設的なブレーンストーミングを念頭に、この連載のパート2では、「喜びの谷間」を変化させた数々の事象について取り上げたいと思う。

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