やりたかった道を信念で突き進む——フィールドサービスの最適化行動予定表自動生成システムを開発する、ゼスト伊藤氏に聞く【ゲスト寄稿】

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本稿は、Disrupting Japan に投稿された内容を、Disrupting Japan と著者である Tim Romero 氏の許可を得て転載するものです。

Tim Romero 氏は、東京を拠点とする起業家・ポッドキャスター・執筆者です。これまでに4つの企業を設立し、20年以上前に来日以降、他の企業の日本市場参入をリードしました。

彼はポッドキャスト「Disrupting Japan」を主宰し、日本のスタートアップ・コミュニティに投資家・起業家・メンターとして深く関与しています。


ゼストの創業者で代表取締役の伊藤由起子氏

この25年間にわたって、ゼストと同社代表の伊藤由起子氏は、何度かにわって自らを作り直す必要があった。興味深いことに、同社と彼女の変化は、この間の日本のスタートアップシーンで見られた変化をそのまま反映している。

今日のゼストはクラウドベースのフィールドサービス・ソフトウェアを作っているが、彼らは数年前、ソフトウェアの受託開発会社としてビジネスを始めた。その頃は、受託開発という業態が、小さなテクノロジースタートアップにとっては唯一の選択肢と言ってよかった。ゼストのプロダクトやプランはもとより、日本の女性にとっては稀だった時代にプログラマとしてのキャリアをスタートさせた伊藤氏のストーリー、そして、日本の女性が営業の電話などしなかった時代に、伊藤氏がどのようにビジネスを成長させたかを聞いてみた。

Tim:

フィールドサービス・ソフトウェアというのは、どのようなものでしょうか?

伊藤氏:

フィールドサービス・ソフトウェアは、複雑なオンサイトの業務に対し、コストのかかる人員や装置のスケジュールを調整し割当てるために用いられます。我々の顧客の中には、エレベータ検査や建物検査に使っているところがあります。たいていの会社は今日でも、スケジュール調整や割当を Excel やホワイトボード上でやろうとします。しかし、ある会社が要件の異なる業務に、適任のスタッフ20人を400ヶ所に派遣するとしたら、正しく最適な状態で割当を行うのは不可能です。現在の方法には、多くの無駄があります。

Tim:

しばらくはソフトウェア開発の分野に身を置いておられましたね。どうやって仕事を始められたのでしょうか?

伊藤氏:

職業としては30年以上ソフトウェアを開発してきましたが、実際にはそれよりかなり前から仕事を始めていました。私はイギリス、ドイツ、アメリカで育ち、10歳のときに日本に帰国しました。帰国当時は日本語を十分に理解できなくて、授業についていくのは大変で、日本社会の中で、自分がどうあるべきかもわかりませんでした。すべてが恐ろしかったように思います。唯一理解できたのは算数でした。算数は大好きでした。

Tim:

確かに、数学は世界共通の言葉ですからね。

伊藤氏:

そうです。数学は世界どこでも同じだからです。最終的には日本語を取得し普通の女子高生になったわけですが、それでも数学が好きでした。私は良い工科大学に進みたかったのですが、私の教師と進路カウンセラーが申請を変更し、数学や科学の講義の無いリベラルアーツの学校に進むことになりました。

Tim:

つまり、数学を学ぶ術はなくなってしまったわけですか?

伊藤氏:

独学では学習を続けていました。そして、コンピュータと呼ばれる新しいモノで仕事している人に出会い、私は彼にアルバイトで雇ってくれるように面接をお願いしました。彼の会社は私を雇ってくれましたが、私をコンピュータの仕事に就かせることをためらっていました。そのベンダーが言うには、コンピュータの業務に就くには6ヶ月間のトレーニング講座を修了する必要があり、アルバイトにはそんな投資はできないというものでした。彼らが私の訓練を認めなかったのは、私にとって幸運でした。

Tim:

何が幸運だったのですか?

伊藤氏:

男性たちがトレーニングを受けている横で、私はすでにコンピュータを使い始めていました。最初はキーパンチングをしていましたが、まもなく上司がコーディングシート、その後にはフローチャートを書かせてくれるようになりました。私はフローチャートを書くのが上達し、コーディングシードを書く必要がなくなり、フローチャートから直接コーディングできるようになりました。同僚の男性たちは6ヶ月の間プログラミングをさせてもらないのに、私は1ヶ月後にはソフトウェアを開発していたのでした。

Tim:

その会社を離れて、自分で会社を始めようと決めたきっかけは何ですか?

伊藤氏:

もっと多くのことがしたかったのです。私は顧客と話をしたかったし、このようなフローチャートや要件がどこからもたらされるのかを知りたかったのです。顧客と直接話しができれば、もっとよいソフトウェアを作れるだろうし、それで何ができるかを顧客に知ってもらえると考えました。しかし当時、少なくともその会社では、要件やプロセスについて顧客のマネジメントと話をするのに25歳の女性を派遣するというのは、簡単にできることではありませんでした。私は、顧客が本当に欲しているものを、常に把握していたいと感じていました。それは、苛立たしいものでした。

Tim:

つまり、限界を感じたと?

伊藤氏:

はい。今日の女性は、その当時の女性に対する差別がどれほどのものだったか、理解できないでしょう。当時の差別は非常に直接的で、世の中に受け入れられたものでした。私は会社を始めるつもりはなく、実際の顧客ともっと仕事をしたかっただけなのに。私の顧客らは私の仕事に満足してくれ、その結果、私は自分の周りのプログラミングを楽しむ人々とチームを作り、会社は口コミで成長していくことになったのです。

Tim:

とんとん拍子で進んだようですね。

伊藤氏:

(笑)いいえ、そう簡単ではありませんでした。これまでに何度かの拡大と縮小を経て、現在のゼストは単一プロダクトに再びフォーカスしています。いくつかの点で、それは大変(これまでとは)違ったビジネスです。

Image credit: Zest

Tim:

それは大きな挑戦ですね。今日の多くのソフトウェア会社は、開発受託のビジネスから自社プロダクトを開発する方向に変化してきています。決心した理由は何ですか?

伊藤氏:

2年前、二人の別々の会社の社長が、我々のソフトウェアが無かったら倒産していたかもしれないと、私に言ってくれたんです。この業界に目を向けてみると、ほとんどの会社に利用できるソフトウェアは存在しませんでした。これは、我々にとっては完璧なビジネス機会だと思えました。我々なら、多くの会社のためにこの問題を解決できるからです。

Tim:

毎月のキャッシュフローが予想可能だったビジネスから、ハイリスクなベンチャー企業となって早急な成長のために資金調達することは、大きな変化だったに違いありませんね。

伊藤氏:

学ぶべきことは常に多くあります。これは面白いことですが、28年前にゼストを始めたとき、全員が私に会社を始めるには若過ぎると言いました。今では、人々が私に会社を始めるには年配過ぎると言います。物事を見るには、残念な視点ですね。あなたが自分がやっていることを楽しんでいて、あなたのプロダクトを気に入ってくれる顧客がいるなら、いつだって会社を始めるには最適の年齢だと思います。


伊藤氏と話をして最も印象的だったのは、感謝をしてくれた人々のために、ソフトウェアを開発しようと彼女が決断したことだ。何人もの教師、アドバイザー、上司たちが、彼女を希望する道から外そうとした。当時の日本社会は、彼女に対して、彼女の持った夢は若い女性にとっては適当ではないと言ったわけだ。しかし、彼女は自分のフォーカスを持ち続け、現在も成長企業を経営し、本当にやりたかったことをやり続けている。

ある意味において、多くの IPO のストーリーよりも、ゼストは既に幸せな結果を得ていると言えるだろう。

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