「遅咲きは敗者ではない」— Dave McClure、46歳の誕生日を前に思うこと

世界中には、19歳とか若いうちから起業をしたりベンチャーキャピタリストになったりという例があるけれど、僕がスタートアップの世界に飛び込んだのは30歳になる直前だった。知らないことばかりで大変だったけれど、Open Network Labでご縁を頂いてずっと僕のスタートアップを応援してくれているNils Johnson氏など、沢山の素晴らしい先輩や友人達のお陰で(あと家族も)、僕はなんとかアリーナに立ち続けさせてもらえているのだと思っている。

Dave McClure
Dave McClure氏

つい先日500 StartupsDave McClureが素晴らしいブログ記事を書いているのを見つけた。彼の思いと、彼を取り巻くシリコンバレーのカルチャーにとても勇気づけられたので、この素晴らしい記事を日本にいるみんなにも共有したいと思った。僕も、シリコンバレーの、こういう思いを持った人やカルチャーに沢山救けられてきたからだ。

そんな矢先、今年の夏に、500 StartupsののBatch programに参加していたTokyo Otaku ModeTomo Kameiくんが「社内で日本語に翻訳してあるよ」と日本語訳を送ってくれたので、(すでに原文を読んでいる人もいるかもれないけれど)ここで紹介したいと思う(Tomoくん、あと日本語訳の掲載を快諾してくれたDave、ありがとう!)。

遅咲きは敗者ではない、と思いたい

僕はだいたいいつも自分のことを失敗作だと思っている。

楽観的な時は、もしかしたら自分はただ遅咲きなだけかもしれないと思える。

信じてもらえないかもしれないけれど、小さい頃の僕は周りで一番頭の良い子供だった。母親からも先生からも、そして誰より僕自身もそう思っていたけれど、そのうち偉大なことを成し遂げるんじゃないかと期待されていた。これが良い事なのか、悪い事なのかは良く解らないけれど、僕の周りにはいつも大きな期待が取り巻いていた。そして10~15歳までの間は、僕は期待に応えることができていたように思う。

でも良い成績や学業で成功(僕は6年生と8年生を飛び級した)した後は、ある意味そう上手くは行かなくなった。大学には他の人達よりも若い年齢で進学したけれど、賢いだけでは良い成績を修めることができないということに気付いたんだ。継続的で、着実な努力をいつもする必要があることに気付いた。で、僕はそういう事があまり得意じゃなかった。その上、大学には楽しい事(学業には関係ない事)がたくさんあり過ぎて問題が絶えなかった。テーブルサッカーゲーム、賭け事、フリスビー、それからパーティーに行きまくって友達を作るのが凄く得意になった。ところが、その分卒業することが難しくなってしまった。

しばらくして、Dean’s(学業優秀賞)を受賞したけれど、Probation(謹慎期間のようなもの、クラスを受講できないように差し押さえされる事)を数回食らってしまったし、いわゆる”リクリエーション活動”(笑)をしすぎたせいで、自分や家族を苦しめる事になってしまったんだ。そういう時期を乗り越え、自分が「こうなるべき」だと思うすべてのことについて考えてみることにしたけれど、現実は自分が思い描いていたゴールにはこれっぽっちも到達していなかった。

僕は宇宙飛行士や天体物理学者にはなれなかったし、偉大な歌手やダンサーや画家にもなれなかったし、政治家にもなれていないし、途上国援助の為の平和部隊に参加することもなかった。そして博士号はおろか、修士号の学位も取っていない。20代半ばになる前には、カリフォルニアに自分探しの旅に向かっていた。僕は辛うじてそこそこのプログラマーになったんだ。いくつかの仕事を転々とし、自分が本当にしたい事すら解っていなかったけれどね。

20代後半になる頃までには、コンサルティング会社を始めることになって、これがある意味で自分の初のスタートアップとなった。経営状態の浮き沈みは激しかったけれど、いくつかのアワードを受賞したり、面白く革新的な仕事もした。5〜6年間に渡っていろいろ試行錯誤して苦難を経験した。起業家そしてリーダーとしての自分の能力に深刻な疑問を抱き続けた後、何度か破産しそうになりながらも、とても小額ながらやっとの思いで事業を売却することができた(ぜんぜん自慢できるような話ではないけれど)。

僕は、90年台初めのMicrosoftやIntelに採用されることはなかったし、90年代後半のYahoo!やNetscapeに入社することもなかった。スタンフォードのビジネススクールに願書を送ったけれど合格しなかった。ドットコム・バブル崩壊後の2001年に、僕は運良くPayPalで仕事を得た。でもそれはファンファーレでもなんでもなくて、マーケティング分野での新しいキャリアに慣れるのに物凄く苦労していたし、僕の同僚は10歳も年下のスタンフォード大やMIT出身で、僕よりずっとしっかり仕事をこなせていた。

PayPalで3年間一生懸命働いて少しは進歩はしたものの、ぜんぜん昇進できなかったし、僕の扱いに困る3人のボスを渡り歩いた。解雇されなかったのは運が良かったとしか思えなかったし、誰も僕の事を他に行き場のない役立たずだと気付かなくて安心していた。

勘違いしないでほしい。PayPalは素晴らしい場所だったし、深い友情関係も築けたし多くの事を学んだ。自分のスタートアップは「間違いだらけの喜劇」みたいだったけれど、会社経営の知識(何をすべきで無いか、がほとんど)について多く学べたし、何より自分自身について良く知る事ができた。ユーザ・グループやイベントも沢山設けて、自分はマーケティングがかなり得意で、テクノロジーやシリコンバレーの文化が大好きだという事に気付いた。でも自分にはまだフォーカスが足りないと思っていたし、劣等生だと思っていた。

40歳の時点で達成できていたことといえば、僕なんかと結婚してくれるような女性を見つけられたことと、父親になる資格などない自分が素晴らしい2人の子供を授かったことくらいだ。

僕は数年感Simply Hiredで働いて自分の誇れるような仕事ができたけれど、また、僕はoDeskやMint.com、それからO’Reilly Mediaなんかでコンサルティングの仕事を始めて、でも、やっぱり僕には合っていないような気がしていたし自分が望んでいたほどの成果を出すことはできなかった。Mintでは幸運にも、また素晴らしい人々と一緒に仕事ができたけれど、Aaronは的確に僕のことを評価してくれて、僕がその仕事に適した人間ではないと言ってくれた。

そして幸運だったのは、そう悪くない成功のほんの小さな一部になることができる喜びを感じることができた(つまり、Aaronは僕に会社に投資する事を許してくれて、そのお陰で僕は成功する事ができた。ありがとう、Aaron)。

シリコンバレーで20年間過ごして、ほんの少しだけどお金を稼ぐことができた。そしてプログラマーとして、起業家として、マーケターとして、ささやかな成功を修める事ができた。その一方で、PayPal時代の同僚たちは、LinkedInやYouTube、Yelp、Yammerのような信じられないほど素晴らしいビジネスを生み出しているし、僕の年齢の半分くらいにしか満たなかった若い人達は見たところ僕よりも遥かに野心的だった。人は僕のことを人生のピークを通り越したそこそこの男だと思っていて、自分自身そう思っていたように思う。

他の友達がGoogleやFacebook、Twitter等の企業を巨人にする手助けをしていくのを見てきたけれど、僕はほとんど外から見ているだけだったし、彼らの大きなアイデアの末端にいるだけだったのだと思う。2004年にPayPalを辞めた後にエンジェル投資を始めて、その頃低能な起業家でしか無かった僕は自分は投資家に向いているのではないかという事に気付けた。自分は投資家に向いているんじゃないかということに気付けたことが一番良かった。起業家としては無能でしかなかったと思うし。

2007年にFacebookやスタンフォード大学でFacebookについての講義を華々しく終えた後に(おかしな事に、生徒としては受け入れて貰えなかったのに、訪問講師として講義をすることはできた)、僕はベンチャー・キャピタリストになろうと決めた。タイミングは申し分なかった。2008年の夏に少額の資金調達をしようとしていたときに大きな財政危機があって、そういう小規模のファンドがなくなってしまった。つまり、僕はラッキーだったというのは、僕自身の資金調達ができなかった代わりに、Sean Parkerからの仕事のオファーに対して謙虚にYesと答えることができて、Founder’s Fundでのマーケティングと投資を手伝うことになった。

僕は恐らく、不況にあえぐ2008年のQ4中に、ベンチャー業界全体で雇われた唯一の人間だったんじゃないかな(Sean、ありがとう。君には1つ借りができたね)。その仕事に僕は身を投じて、1年半後、沢山の候補の中から僕はまともな判断をすることができて、Twilio、SendGrid、Wildfire、そしてTaskRabbitに投資をした。その頃、短期間だったけれど、FacebookのfbFundを運営するチャンスを得て、AccelやRedpoint、BlueRunに友達ができた。2010年には、この友人たちが、Founder’s FundやMitch Kapor、 Michael Birch、Fred Wilson、Brad Feld、Marc Andreessen、さらに、あと5〜6人の素晴らしい思いを持った人たちと一緒に僕を助けてくれ、ついにかろうじて小さな資金調達をすることができて僕は図々しくも500 Startupsと命名した。

この旅路の中で、僕の限られた成功を正当化したり、より良い給料と少ないストレスの中に身を置いて大きな車輪の中の小さな歯車になることを受け入れることはいつでもできた。でも僕は自分の人生が壊れた魂や快適な生活で終わる前に、自分のなかにある小さな情熱の炎と、タンクの中に残っている少しの燃料で、僕自身にとって重要な何かをもっと成し遂げていきたいと思ったんだ。

だから僕はここにいる。僕はまだアリーナに立っていて、僕自身が創造した悪魔たちと取っ組み合いの喧嘩をして、この宇宙の中に小さな風穴をあけようとしている。どんなサクセスストーリーの側にも、良い意味での戦いをしながら、たぶん偉大なことを達成する為に他人の手助けをしている人がいて、僕も少しでも良いからそれができたらと思う。僕は今月で46歳になるし、ほとんどの人にとってはとっくに何かを成し遂げている年齢だ。けれど、僕はまだチャンスを掴もうとし続けている。

別に自分の人生を嘆いたり、不満に思っている訳じゃないんだ。僕はすごくすごく幸運だった。そしてこの惑星で素晴らしい時を過ごしてきている。僕は不満に思っていることは何もないし、これから30年、40年の間に僕がしようとしていることが空気みたいなことだったとしても世界が終るわけじゃない。言いたいことは全て言ってきたし、僕の人生は素晴らしいものだ。

でも、僕はまだ辞めないよ。

僕は自分の墓碑銘に「失敗者」ではなくて「遅咲き」って書かれるに違いないって今でも信じているから。

僕の健闘を祈ってて :)

Dave McClure

2015年6月29日追記:原文がデッドリンクになっておりました。移転先も見当たらないので代わりに「Late Bloomer, Not a Loser by Dave McClure」について記載されているFobesのこちらの記事をリンクしておきます。

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