日本の“失われた30年”はVCの差ーー仲間たちと拓くVC産業の未来【対談:赤浦徹氏|Players by Genesia.】

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本稿は独立系ベンチャーキャピタル、ジェネシア・ベンチャーズのインタビューシリーズ『Players by Genesia.』からの転載。原文はこちらから、また、その他の記事はこちらから読める。ジェネシア・ベンチャーズの最新イベントなどの情報を必要とする方は「TEAM by Genesia.」から

2022年7月15日、日本ベンチャーキャピタル協会(JVCA)の総会が開催されました。当日はサプライズで岸田総理が登壇され、日本からのスタートアップ創出、その支援を大きく宣言されました。同日、ジェネシア・ベンチャーズの田島が、副会長に就任(みなさまの応援あってこそです。ありがとうございます)。ただ、それまでにはいろいろな葛藤もあったようでした。田島はそのとき、現JVCA会長であり、これまで10年以上の長きに亘り、尊敬するキャピタリストでもあり仲間でもあった赤浦さんと、お話がしてみたいと考えました。

ベンチャーキャピタリストとして、スタートアップのみなさんにはあまり馴染みがないかもしれないJVCAという組織の中で、ともに奮闘してきた二人。そして、赤浦さんが見据える、ベンチャーキャピタルとスタートアップエコシステムのこれまでとこれからとは?

そのストーリーについて、田島が聞きました。(デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上 恭大さん、聞き手・まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ Relationship Manager 吉田、以下、敬称略)

赤浦 徹/Tohru Akaura(インキュベイトファンド 代表パートナー/一般社団法人日本ベンチャーキャピタル協会 会長)

ジャフコにて8年半投資部門に在籍し前線での投資育成業務に従事。 1999年にベンチャーキャピタル事業を独立開業。以来一貫して創業期に特化した投資育成事業を行う。 2013年7月より一般社団法人日本ベンチャーキャピタル協会理事。2015年7月より常務理事、2017年7月より副会長、2019年7月より会長。

ベンチャーキャピタリストは、「きっかけをつくる」存在

インキュベイトファンド 代表パートナー/一般社団法人日本ベンチャーキャピタル協会 会長 赤浦 徹

田島:赤浦さんの経歴としては、まず1991年にジャフコに入られて、1999年にインキュベイトキャピタルパートナーズを設立されてますよね。つまり、ジャフコ時代から計算すると、これまで30年以上この業界におられるわけですけど、この間、様々な産業が大きく変容してきた中でベンチャーキャピタル(以下VC)という産業も大きな進化があったと思うんです。具体的には、1990年代のVCの仕事って、儲かっている会社に投資してどうIPOさせるかみたいな時代だったと聞いています。

そういう時代から、個人がGPをしている独立系のVCが増えて、少しずつ欧米のVCに近づいてきたのかなと感じてるんですけど、そんな30年の日本のVC業界を赤浦さんは黎明期から切り拓いていらっしゃったと思うんです。なので、赤浦さんにとってのVCという仕事はどんな仕事ですか?というところからスタートしてみたいと思うんですけど。

赤浦:起業家と同じですね。会社を探して投資するっていうのは、僕はVCじゃないと思ってるので、皆さんとはちょっと考えが違うかもしれません。超シードに投資していることもありますが。だから田島さんもよくご存知だと思うんですけど、会社は“探すもの”じゃなくて“つくるもの”だというのが、自分が考えるVCの姿です。その上で、起業家との違いは、一社じゃなくて複数社を同時に経営していくということ。

田島:ジャフコ時代・・1997年でしたっけ、赤浦さんが「個人としてのビジョン」を作ったというお話を聴いたことがあります。その中で、「自分がいなければ生まれていない会社が生まれること」「21世紀のSonyやPanasonic、HONDAが生まれるきっかけをつくる」といったことを宣言されていたと思うんですけど、そこがずっとブレていない、一貫されている印象があります。

赤浦:そこからブレたことはないですね。それを単純にやり切っているだけだし、VCが果たすべき役割はそこにあると思っています。今でいえば、「次のGAFAを日本から生み出す」「日本から世界を代表する会社をつくる」ということです。我々がきっかけとなって、つくる。それがVCの役割だと思っています。

日本の“失われた30年”はVCの差

株式会社ジェネシア・ベンチャーズ 代表取締役/General Partner 田島 聡一

田島:僕は赤浦さんというキャピタリストを尊敬しているんですけど、その要素の一つは、自分の得意な事業領域にとどまることなく新たな事業領域に果敢に挑戦しているところです。宇宙領域などはまさにそうですよね。キャピタリストってややもすると、トラックレコードを積めば積むほどそこに乗っかってしまうというか、失敗するのが怖くなるような、リスクを取りづらくなるようなところがあると思います。だから、自分の得意領域に居続けようとする傾向もあると思うんですけど、赤浦さんはシード投資という姿勢を一貫して崩すことなく、果敢に新しい領域に挑戦し続けている。そのあたりの想いについて知りたいです。

それに加えて、一番初めに宇宙領域に投資したときのエピソードも伺いたいです。今でこそ宇宙産業は投資対象としてメジャーになりつつありますけど、一番初めって、まさにインターネットが登場したときみたいにわからないことだらけだったと思うのですよね。そこをどう開拓したのか。

赤浦:ASIA LEADERS SUMMITという、僕たちが開催しているイベントに、本間(インキュベイトファンドGP)の奥さま(村田 真理さん)のお茶飲み友達がおもしろい人だからということで、登壇してもらったんです。それが現アストロスケールという会社の岡田さんで、その事業内容がデブリだったんですよね。当時はまだ全然起業する感じでもなかったんですけど、そういうコンセプトを持っていらっしゃって、非常におもしろいなと感じました。

あともう一つおもしろいと思ったのが、岡田さんが、ポカリスエットを月に持っていこうというプロジェクトを大塚製薬に提案して受注されたという話だったんです。それに感銘を受けました。宇宙って何やってもいいんだ、というか、昔のインターネットと同じ未開拓地帯だなって思ったんです。それがきっかけでした。具体的には、インターネットメディアがスポンサーを集めたり広告主を集めたりするのと同じ感覚で、宇宙というイベントに対してお金を集めてこよう、よし!それやろう!と。それで、岡田さんに出資したいと思って交渉したんですけど、当時は資金調達は考えていないからと受けてもらえなくて。それで別の切り口を探しているときに出会ったのが、例のポカリスエットを月に持っていくプロジェクトの着陸船の手配でも関連していたispaceだったんですよね。

そのispaceへの投資から、宇宙へのエントリーが始まりました。ispaceの代表の袴田さんに会いに行ったとき、開口一番に、「スターウォーズが好きで宇宙船を作りたい。それが自分の夢だ」という自己紹介をされてちょっと困ったんですけど、じっくりと話を聞いた上で、その場で3億円をコミットしました。それが2014年だと思います。

そこから人脈もできたし、宇宙領域についていろいろなことがわかってきたのに、一社にしか投資していないのはもったいない、もう一社作ってみよう、ということで永崎さんと始めたのがSpace BDです。そこからとんとんと増えていって、今インキュベイトファンドとしては宇宙領域に7社に投資しています。

田島:そういった、新領域を切り拓いていかれているところの指針になっているのは、やっぱり先ほどの「個人のビジョン」があるからなんですかね。

赤浦:そこは本当にブレたことがないです。自分が生きた意味を少しでも残そうと思ったら、やっぱりVCという手段だなと。自分が起点になっていなかったらこうなってなかっただろうなと思える会社がいっぱいあるんですよね。本当に会社ができたばっかりか、できる前か、という共同創業のタイミングに入らせていただいて、一生懸命応援しているわけですが、「個人のビジョン」を決めた1997年3月はまだジャフコにいた頃でしたけど、自分が起点となって、自分がいなかったら生まれていないと思えるような会社を作りたいと決めてから、何もブレてないです。単純にそれをやりたくてやってます。

そして、それをやろうとすると、やっぱり合議制だと難しいんですよね。自分自身が絶対にいいと思っていても、他のみんなを説得するのってすごく力が要りますよね。要は、投資するまでに相当パワーがかかる。かつては、投資検討から1-2年とかをかけてやっと投資させてもらう、みたいなこともありました。一方でアメリカだと、一緒に朝食を食べて、紙ナプキンに条件を書いて、その場で決まるじゃないですか。それはやっぱり個人のGPだからできること。

極端な話ですが、アメリカのVCは個人がGP、日本のVCは会社がGP。当然、会社がGPである限りは会社としての意思決定が必要なので、いくつもの会議を通すプロセスに2-3ヶ月とかかかるわけです。それが当たり前なのが日本で、その結果として、JAPAN as No.1と言われた時代からの“失われた30年”があると思っています。失われた30年は、VCの差だと思います。だからやっぱりもっとVCが力をつけて、VCが主役となって、世界を代表する会社を作っていける存在にならなきゃいけないんじゃないかなと。そういう変化を興したいなと。

僕はもともと起業したいという思いでJAFCOに入社しましたが、新卒1-2年目にはVCとして独立しようと決めて、結果的に8年修行をして99年に独立して、今はそれから23年経ちましたけど、気持ちは何も変わっていないです。

BRIDGE編集部註:この後の『一緒につくり、メンバーとして役割を果たす存在』の続きはこちらから

※本稿の内容は2022/9/14時点の情報になります。

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