ウォンテッドリー元CTOとピンタレスト・ジャパンの元代表が語る、スタートアップの「選択と集中」

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左から:定国直樹(グローバル・ブレイン ベンチャーパートナー)、川崎禎紀(グローバル・ブレイン ベンチャーパートナー)

本稿は独立系ベンチャーキャピタル、グローバル・ブレインが運営するサイト「GB Universe」掲載された記事からの転載

グローバル・ブレイン(GB)には、投資先スタートアップの事業戦略やグロース、開発支援などを専門に行うValue Up Team(VUT)という組織があります。

本記事ではそのVUTのメンバーとして、店舗DXツール「はたLuck」を展開するHataLuck and Person(HATALUCK)へ開発支援を行ったVenture Partnerの川崎禎紀さんと、組織づくり支援を行った同じくVenture Partnerの定国直樹さんに、具体的な支援内容やスタートアップ経営の要点などについて話を聞きました。

経営陣を1つにした「開発ROI」の考え方

──HATALUCK支援の概要を教えてください。

定国:HATALUCKさんへの支援はVUTの中でも「総合支援」と位置づけられています。支援内容は営業支援、顧客データ分析、プロダクト戦略支援、知財支援、採用支援など多岐にわたっており、川崎さんの開発支援と私が行ったOKR支援はその一部です。

定国 直樹:2020年からGB Value Up TeamにVenture Partnerとして参画し、投資先の支援活動を行う。これまでのグローバルテック企業でのジェネラルマネージメント経験をベースとして、OKR導入をはじめとする組織課題や、営業・プロダクト等々の特定ファンクションの業務改善プロジェクトを遂行する一方で、投資先企業経営陣のメンター的な役割も担う。

──まず、川崎さんの開発支援について詳しく教えてください。

川崎:私は技術的な支援というよりも、HATALUCKの開発がどうすればもっとスムーズに、全社的に成果を与えられるものになるかを策定する支援をしました。

「はたLuck」の顧客数や売上は順調に伸びていましたが、その一方で開発はリリースの進みが遅く、「追加したい機能リスト」ばかりが増えていってしまう状態でした。

こうした事態に陥っている要因を特定するため、まず状況の確認から着手しました。プロダクトマネージャーやエンジニアの方へヒアリングをし、CTOの千葉さんとも1on1を実施。また技術的な側面からも状況を把握するため、実際のソースコードを共有していただきました。

その結果、技術的負債にエンジニアのリソースが取られているのが要因であると判明。新機能の開発よりも先に、開発安定化に取り組むべきなのではないかという方針が出てきました。

しかし、HATALUCKさんの経営陣には長年ソフトウェアエンジニアリングがわかる方がいらっしゃらなかったこともあり、「技術的負債の解消にどのくらい人的コストをかけるべきなのか」がわからず、なかなか意思決定できませんでした。

そこで私たちが行ったのが「開発ROI」のモデル化です。Google Cloudに買収されたことでも知られるDORA(DevOps Research and Assessment)による、ソフトウェアデリバリーのパフォーマンスを示す「Four Keys」という指標をもとに作成しました。

開発ROIを使うと、技術的負債に起因するバグ対応をしているエンジニアの工数から、「それを解消すると月にいくらの人件費が浮くのか」「それを純利益に換算するといくらになるのか」「その純利益を売上に換算するといくらなのか」を計算できます。

開発ROIの試算表(一部)

川崎:またこの指標を使うと他の施策への投資とも比較しやすくなります。たとえば、技術的負債を解消して得られる利益と、「セールスを1人増やして得られる利益」や「デジタルマーケに注力して得られる利益」を比較できるので、1番リターンがある施策を選べます。

経営者は最もリターンが大きいものに投資をしたいはずです。開発ROIはあくまでも単純化して考えるためのものなので、財務的に完全に正確とは言えませんが、やはり経営にまつわるお金に“翻訳”するとわかりやすいんです。これにより、CEOの染谷さんにも技術的負債の解消を最優先で進めるという意思決定をしていただけました。

川崎 禎紀:東京大学理学部情報科学科を卒業後、同大学院にて情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻の修士課程を修了。2006年に米系投資銀行に入社、テクノロジー部門VPを経て、2012年4月よりウォンテッドリーに1人目フルタイムエンジニアとして入社、同年10月より取締役CTOを10期務め、2022年に退任。VUTでは、開発支援を担当し、特にCTOやエンジニア責任者の経営判断や意思決定の支援、コーチング・メンタリングなどに従事。

定国:HATALUCKさんでは並行してOKRを再整備していたのですが、そこでも全社のObjective(社として向き合うべき優先課題を言語化したもの)の1つに技術的負債の解消が掲げられ、かつそれが最優先事項となりました。

限られたリソースの中で「開発安定化を最優先で行う」という意思決定を、非エンジニアの経営陣も含めてできたのはHATALUCKさんにとって大きな転換点だったと思います。この意思決定がされてから風向きが変わって、より一丸となった感じがありましたね。

「ゴールだけ」を書くOKRは意味がない

──定国さんが行った支援についても教えてください。

定国:HATALUCKさんでは組織が拡大フェーズに入ったこともあって、創業期の“阿吽の呼吸”では経営陣の意思が社内に伝わりづらくなってきていました。

そこで組織面での課題を深掘りするために、ミドルマネージャー全員にインタビューを実施。そこで出てきた課題の1つがOKRの運用の質でした。何人かのマネージャーから「OKRを使っているが目標に整合性がなく、振り返りも十分できていない」という声があがったため、OKR再整備に取り組み始めました。

──具体的にどんなアクションを行ったのでしょうか?

定国:ステップは2つあります。1つめは、まず経営陣にOKRの効果を十分腹落ちしていただいた上で、実際に3カ月間OKRを試験運用する段階。上手く運用できそうだと経営陣が確信したら、2ステップめとして全社に展開していくという流れです。

ファーストステップでは、説明会や事例共有を通じて、経営陣の皆さんにOKRの考え方をインプットさせていただきました。その後、経営陣によるOKRの設計・運用の伴走役として3ヵ月の運用を支援させていただきました。HATALUCKの皆さんはすぐにOKRを自分たちのものにされたので、すぐに全社展開まで進められました。

──支援を行う中で伝えた「OKRのポイント」を教えてください。

定国:会社がいま最も優先すべき課題をObjectiveに設定することです。

HATALUCKさんにもお伝えした野球の例えをご紹介します。プロ野球チームとしてOKRを立てる場合、Objectiveに「日本シリーズ優勝」を置くのはあまり意味がありません。どのチームも優勝したいに決まっているからです。つまり「何も言っていないに等しい」ことになります。

Objectiveのイメージ

定国:一方で、抱える課題はチームごとに違っています。「攻撃が弱い」という分かりやすい課題だけではなく、「トレード・ドラフト戦略が弱い」「そもそも選手の体力がない」など表には現れにくい根本的な課題もあるかもしれません。Objectiveではこうしたチームが抱える課題を言語化するべきです。「日本シリーズ優勝」自体を掲げるのでなく、「日本シリーズ優勝のための最大の課題」を見極めてObjectiveに据えるのが大切です。

ちなみに、スタートアップのOKRでは「売上xxx円を達成する」というようなObjectiveをよく見かけます。これは「日本シリーズで優勝する」と言っていることとほぼ同じで、言語化する意味がほぼありません。もし自社のObjectiveに売上などの数値目標が入っているようであれば、OKRを見直してみると良いかと思います。

またObjectiveには、なぜ達成すべきなのかという会社のフィロソフィーやCEOの思いを込めるのも大事です。そうでないとメンバーから「なんで私たちのチームはその課題が最優先なの?」と疑問を持たれてしまう。

HATALUCKさんでも、単に技術的負債の解消というフレーズだけをObjectiveに置いたのではありません。CEOの染谷さんは今回設計したOKRを全社展開する際、「私たちは既存顧客を最も大切にする会社であり、絶対に迷惑をかけてはならない。だから技術的負債の解消を全社の最優先課題とするのだ」と宣言されました。この染谷CEOの信念がObjectiveに反映されたからこそ、ビジネスサイドのメンバーにもいまなぜ新機能が開発されないのかが伝わりました。

──確かにその思いをセットにすることで、伝わり方も大きく変わりそうですね。新たなOKRはHATALUCKでどのように使われていますか。

定国:日々の仕事の中でOKRが語られるようになりました。染谷CEOを含む経営陣は週次でOKR達成に向けたアクションの宣言と振り返りを社内にメッセージングしており、月次の全社ミーティングでも各部門の責任者がOKRの進捗を発表しています。取締役会でもOKRの進捗情報を活用して報告しています。

これは当たり前にできることではありません。多くの企業はOKRを策定して振り返りの時期まで眠らせてしまいます。半年後などに引っ張り出してきて「KR1の達成度は70%、KR2は80%…だからこの半年の成績は75%点、以上」という感じのところも多い。これではOKRが日々の業務を進めるものとして機能しません。

OKRは、放っておくといつまでも先延ばしにしてしまう「重要ではあるが、緊急度合いが低い業務」にコミットするための仕組みとして有効です。ある意味、全メンバーを同じ方向性に向かわせるコミュニケーションツールだとも言えます。

「選択と集中」ができるスタートアップになるには

──それぞれの支援を終えて、HATALUCKにはどのように変化があったと感じますか?

川崎:長期的な目線での「選択と集中」ができるようになったと感じます。

急成長を目指すスタートアップはどうしても短期的な売上が気になるので、ニーズがある新機能をどんどん開発したくなります。しかしHATALUCKさんは「技術的負債がネックになっているいまは、あれこれと手を出さず我慢する」という選択をされました。これは本当に勇気がいります。しかも開発サイドだけではなく、ビジネスサイドとも合意できたのがすごい。

定国:部門最適で「自分の部門さえよければ」というのを捨てて、全社最適で考えていけるチームになっていますよね。

ふと思ったのですが、川崎さんの支援と私の支援は一見全然違う内容に見えて、両方とも「社内の目線を合わせる」という意味では同じですね。開発ROIもOKRも全社をワンチームにするコミュニケーションツールとして機能しています。

川崎:確かに。ここまで迅速にHATALUCKさんの選択と集中が進んだのは、総合支援体制が奏功したからかもしれません。

──なるほど、同時並行して支援しているからこその価値が出てくるというのは面白いですね。OKRや開発ROIなど以外に、スタートアップが全社最適の視点を持つために必要なことは何だと感じますか。

川崎:相互理解だと思います。「ビジネスで何が起きていて、開発で何が起きているのか」と、お互いの状況をわかりあうからこそ「ここにフォーカスしよう」と意思決定できる。他チームに興味を持っていなければ、いくらOKRや開発ROIを取り入れても「なんで開発しないんだ」「なんで売ってこないんだ」と文句だけが出る組織になってしまいます。

定国:染谷さんをはじめとする経営陣の高いコミットメントも成功要因の1つだと思います。外部からの声にも聞く耳を持つだけの器の大きさを持った方ばかりだったので、自分たちの会社が良くなりそうなものであれば積極的に取り入れようとしてくださいました。

スタートアップ経営者だった2人の思い

──おふたりがVUTとして抱いている気持ちやスタンスも聞かせてください。川崎さんがVUTに関わるきっかけは何だったのでしょうか?

川崎:私はウォンテッドリーのCTOを10期務めた後、2022年に退任しました。その後は個人でスタートアップの支援をやっていたのですが、個人ではできることが限られます。開発の中に閉じた支援はできますが、今回のHATALUCKさんのような、他のメンバーと絡んだ課題には影響を与えづらいと感じていて。そんな時に、VUTで開発支援をやっていた二宮さんにお声がけいただきました。

よくCEOは孤独だと言われますが、CTOも同様です。技術もわかりながら同じレベル感で悩める人が社内にいないというのはとても辛いものです。私も先達のCTOたちにアドバイスをもらって助けられた経験があり、ペイフォワードしていきたいという気持ちがありました。VUTでの活動はそこに合致すると思い、お手伝いしようと決めた感じです。

──個人支援のときとどのように違いますか?

川崎:VUTには開発だけでなく事業面も支援するメンバーがいるので、彼らとコミュニケーションを取りながらスタートアップを支援できるのは、個人では得がたい経験です。やはり局所最適な支援では、別のところで起きている課題には気づきづらく根本解決ができないこともあります。事業面も開発面も、全体感を持ってスタートアップを支えられるのは、VUTが提供できる大きな価値だと感じます。

──定国さんはGoogle、Squareなどでキャリアを積み、ピンタレスト・ジャパンでは代表取締役社長も勤められました。VUTでの働き方にはどんなやりがいを感じますか?

定国:ライトな支援も含めると、何十社ものスタートアップに携わらせていただきました。こんな経験ができる仕事はなかなかないので、やりがいがあります。

私が勤めてきた企業とは提供するプロダクトやサービスは違えども、「毎日事件が起きる」や「100個やりたいことがあってもリソース上3つしかできない」など、マクロ的に見ればいずれのスタートアップとも共通しています。当時もがき苦しんだ経験が、いま向き合っているスタートアップの皆さんとの対話の中でも活きていると感じますね。

──最後に、今後おふたりがどのようにスタートアップと向き合っていきたいか展望を教えてください。

川崎:私はウォンテッドリーでも1人目のフルタイムソフトウェアエンジニアだったので、現場のエンジニアが何をやっていて、どういう気持ちを抱いているのかがよくわかります。一方で、曲がりなりにも上場企業の取締役をやっていたので、経営として長期的に企業価値を最大化する悩みも理解している。この両方の経験を活かして、開発チームの伴走相手になりつつ、経営との橋渡しをしていきたいです。ビジネスとエンジニアリングの両輪で支援していきたいですね。

定国:外資企業に長く勤めていたのもあって、その反動的なところで「日本をもっと盛り上げたい」という気持ちがあります。日本は人口も減って平均年齢も高まる中で、いまあるアセットを食いつぶすビジネスだけではジリ貧になっていくと思います。だからこそ新しいものを生みだすスタートアップの力が大切です。そこに自分の経験をもとにポジティブなインパクトが出せるのであれば、こんなに幸運な仕事はないですね。

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