【タピオカに人生を捧げた男】18年ぶりに復活した「タピオカ屋」の物語

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ここ数年の日本におけるタピオカドリンクのブームは、3回目であると言われている。
第一次ブームは1992年頃。当時のエスニックブームに牽引される形で始まった。
第二次タピオカブームは2008年頃。台湾からタピオカチェーンが日本に進出してきたことがきっかけだった。第二次タピオカブームの中、高田馬場の1坪の小さなお店で、タピオカドリンクを提供し始めた男がいる。現在、合同会社カワムラカンパニーで「タピオカ屋」を営む川村雅昭だ。「タピオカ屋」は、18年前に一度閉店したが、2021年に復活し、2022年12月8日に1周年を迎える。今回のストーリーでは、創業前から糀谷駅の店舗を復活させた現在までを語る。
◆タピオカと出会い、試みた日本への輸入

1996年、食品商社に勤めていた川村は、たまたま入ったあるレストランで、「タピオカ」と出会う。今まで食べたことのない食感と味に、衝撃が走ったと当時の想いを振り返る。「どうやら、台湾から香港へ広まっている食べ物らしい」という情報を聞き、すぐに香港へ飛び立った。降り立つと、50m間隔で、タピオカを販売するお店が並んでいた。しかも、どこで食べても美味しい。決断は早かった。「タピオカを日本で広めよう。この感動を一人でも多くの人に伝えたい。」帰国後、すぐに日本で販売する方法を考え始めた。しかし、輸入するためには、いくつもの壁があった。

「当時、乾燥タピオカは、すでに日本国内の市場に出回っていました。しかし、乾燥したタピオカは茹でた際、うまく戻らなかったり中に芯が残ってしまうことがあります。冷凍あるいは半生状態にすると、食感や味がよくなりますが、当時は輸入することができませんでした。そこで、半年間かけて、味、食感が良くなる加工方法を考え出し、特許(※1)を取得し日本国内に持ち込むことに成功しました。」
※1: J-GLOBAL ID200903005336657722

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