世界に認められた金型製造技術で躍進する小さな町工場「ダイキ精工」。次の未来へ技術をつなげる新しいブランド『ダイキネクスト』を立ち上げた意図に迫る。

工業産業が盛んな街に小さな町工場を構えるダイキ精工は、2023年2月27日に創業50周年を迎えました。全国でも数少ないロストワックス用精密金型の設計から製造までを行い、航空機のジェットエンジンのタービンブレード用金型では日本を代表する企業です。金型産業は重要な基幹産業ですが、昨今は業界の高齢化も進み、金型だけでは食べていけず、廃業や事業転換を余儀なくされる企業も増えています。
◆「世界から認められた金型が困難な時代を乗り越えチャンスに変えた」

金型の技術を活かして開発したコンシューマー製品「熊鈴」

そう語る社長の齋藤宏和は、この秋にオリジナルブランド『ダイキネクスト』を設立しました。これまでのB to Bとは違い、クラウドファンディングを活用したコンシューマー向けビジネスに取り組み、同時期に発表したアルミ製熊鈴「DaiFeel(ダイフィール)」が大成功しました。新たな第一歩を踏み出すきっかけとなりました。

成功したクラウドファンディングはこちら

ここの記事では、新たな取り組みを成功させた社長の齋藤宏和と、その社長を支えてきた副社長の齋藤早苗の2人にインタビューをし、50年続いたダイキ精工のこれまでの軌跡や、次の50年に向けた未来につなくブランド『ダイキネクスト』の開発にたどり着いた背景について聞きました。
―元々はシステムエンジニアご出身と聞きました

左)ダイキ精工代表取締役社長、齋藤宏和、右)同社副社長、齋藤早苗

齋藤(宏):はい、そうです。大阪にある大学を卒業し、出身地の徳島が本社のSI(システムインテグレーション)系システム会社に、SE(システムエンジニア)として入社しました。当時は、コンピューターを使う仕事が人気で「パソコンの仕事をしておけば、将来は安泰だろう」、そんな安直な気持ちで就職したのを覚えています。就職先は大阪でも徳島でもなく東京へ。出向先の大手システム開発会社が私の職場でした。
―がむしゃらに働いた9年間、しかし違和感を感じていた

齋藤(宏):はい、SEとして9年間、一生懸命働きました。仕事は好きでしたが、ずっと違和感がありました。「お客様の顔が見えない」。自分が携わる仕事が、エンドユーザーにどう評価されるのかが分からないことに、物足りなさを感じていました。大きな会社で働いていれば、当然といえば当然。しかし「エンドユーザーの声を聞く仕事がしたい」、そういう思いが強くなる一方で、転職を考え始めたのもその頃です。
―なぜ愛知県小牧市の町工場へ転職したのですか?

ダイキ精工株式会社の外観

齋藤(宏):当時から付き合っていた妻(副社長:齋藤早苗)の実家が小牧にあり、彼女のお父さんが20年以上続く金型メーカーを営んでいました。その後結婚し、実家へ帰省するたびに「モノづくり」を目の当たりにしてきた30歳の時、当時の社長(現会長)から「モノづくり、楽しいからやってみないか?」と声をかけられたのがきっかけです。このままでいいのかと考えていた時期でもあり、「よし、やってみよう」と思うようになったのです。
―奥様の立場としてはどういう思いでしたか?

齋藤(早):彼とは、私が20歳の時から付き合っています。当時私は名古屋の短大生。もう少し勉強しようと思い、彼に付いて行き、東京の短大に入り直しました。その後結婚し、3人の子供に恵まれました。彼をずっとそばで見てきた私は、その当時、この仕事は彼には合っていないかもしれないなと思ってました。

いずれは彼の実家の徳島へ帰る予定でした。この機会に、私の実家で製造業を学び、数年後に徳島へ帰って工場を造れば良いんじゃないか、と思うようになったのです。「勉強のつもりで」と気軽に考えていました。ちょうど二人目が生まれた時に会社を辞め、ここ小牧へ引っ越してきました。今から26年前です。
―仕事を始めた印象はいかがでしたか?

齋藤(宏):これまではコンピューターが相手でしたが、今度は機械。驚きの連続でした。コンピューターでシステムを設計する仕事はしてきましたが、実際に物を作ることは初めて。物の寸法が、ミリ単位、100分の1ミリ単位で材料を削るわけで、寸分の狂いもなく出来上がった成果物を見たときは感動しましたし、心から楽しいと思える瞬間でした。
一緒に働く職人からの評価はどうでしたか?

設計をするダイキ精工代表・齋藤宏和

齋藤(早):とても良かったです。ダイキ精工の金型製造の仕事は、設計から加工、組付けして仕上げるといった、3つの工程から成り立っています。うちの会社にはそれぞれの工程の職人がいますが、この3つの工程を全て網羅できる職人はなかなかいませんでした。経験を積んで社長になるころ、「すべての工程を網羅して、一気通貫できる齋藤さんなら任せられるよね」って、職人さんから言われるようになっていました。

齋藤(宏):今では、SEの経験ができたことをとても感謝しています。お客様のもとへ出向き、現場の要望をしっかり聞いて、この形状はどういった意図をもって作るべきか、使いやすさを考え、どういう設計が望ましいのかを結びつけることができるのは私の強みだと思います。ダイキ精工で働き始めて、自分の本当の強みを発見できたことは大きな収穫でした。
―職人さんの相手も一筋縄ではいかなそうですが。

職人さんの手先の器用さには感服させられる

齋藤(早):はい、その通りです。入社当時から、職人に頭を下げて教えてもらう、真摯な姿勢が気に入られて、信用されるまでにはそう時間もかかりませんでした。温和で人当たりの良い性格が、職人からも好かれていたようです。
40歳を過ぎて、以前の社長から「社長をやってみないか」と声がかかりました。会社が大変な時でも、自分一人で全部できる、と言えるぐらいじゃないと町工場の社長は務まらないものです。そのぐらいの覚悟がないと職人もついてこない。10年くらい経験を積み、彼は会社のすべてを理解していました。
過去にない大ピンチを乗り越えた技術力と社長の営業力

―社長になったのはリーマンショックの直前ですね。

齋藤(宏):入社して10年くらい経ったころ、社長をやってくれないかと言われました。このタイミングでは、徳島へ帰る気持ちも無くなっていました。その理由はリーマンショック。創業以来の大ピンチで、それどころじゃなかったです。売り上げは8割ほど落ち込み、仕事も激減。会社も自分自身もステップアップする時期とも重なり、目の前の仕事をこなすのに精いっぱいでした。
―乗り越えられた理由は何でしょうか?

社長に就任したとき

齋藤(宏):当時は自動車関連の仕事が非常に多かったのですが、リーマンショックですべてが無くなりました。しかし、同時期に航空機の仕事を始めたタイミングでもありました。そのころ航空業界はジェットエンジンの開発競争が盛んにおこなわれていた時代です。ジェットエンジンに使われる羽の部品の金型なら、私たちの技術で作れるのでは。そう感じて営業をしていたのです。自動車の部品は小さいですが、飛行機のエンジンは大型です。金型製造は大変でしたが、この新しい市場に入り込めたお陰で、倒産の危機は免れたといっても過言ではありません。
―リーマンショック直前に新たな転機が訪れます。

齋藤(宏):はい、リーマンショック直前ごろから、ロストワックス製法の国内撤退が加速しており、コスト削減も進み、製造部門も海外へ移管される時期でもありました。私たちの金型も海を渡ったのです。当時、突然メールが届きました。全文英語で、今とは違いインターネットも進んでおらず、簡単に翻訳できない。通訳を介して、どうやらアメリカの精鋳メーカーからのメールだとわかりました。これまでは商社を通じて海外へ納品することはありましたが、海外のエンドユーザーから、直接問い合わせをもらったのは初めてでした。
―どんな点が評価されたのでしょうか?

齋藤(宏):現場で「この金型はとても使いやすい」と話されていたようです。どこで作った金型なのかを調べ、当社にたどり着いたようです。
―海外からも使いやすさを評価されるのはうれしいですね。

米国の鋳造メーカーから問い合わせがあった。通訳を付けて交渉に挑んだ

齋藤(宏):そうですね。金型は、成形品を何千回と作るためのものです。これは、同じ作業を何千回としなければならないということを意味します。ですから、現場の作業者が使いやすい事が重要です。トラブルの時は、金型をばらす作業が発生します。ばらしにくく、組み立てにくい金型だと、現場の負担も増えてしまいます。ダイキ精工の場合は、私がプロデューサーとして、お客様の要望をしっかり受けて、現場に出向き、使い方を調査、それを考慮した設計までをイメージして提案してきたことが大きかったですね。また、使いやすさだけではなく、納期を短くできるのも我々の強みです。その点も海外から大きな評価を頂きました。
◆金型製作における当社の特徴

◆1. 現場を理解した使いやすい金型

◆2. 最短3か月の短納期にも対応できる総合力

齋藤(早):総合して、私たちの強みの本質は「提案力」だと思っています。
―ダイキ精工の「提案力」について教えてください。

設計⇒加工⇒組み上げまでプロデュースできる提案力が武器

齋藤(宏):お客様と直接会って、課題や問題点を洗い出し、つぶしていきます。プロデューサーの立場である私が、現場はもちろん、設計と加工が分かっているため、プロジェクトを進行する際には、進められる所から加工を手配し、仕様が固まった時には、すでにいくつかの加工は終えている、というタイミングでスタートさせることができるのです。これにより試作品も早く作れますし、納期が大幅に短縮できるのです。国内のみならず海外でも、この取り組みができる金型メーカーは少ないようで、この提案ができないと納期が大幅にずれることもあるようです。海外は顕著で、やり直しが重なり、納期が半年以上ずれることもよくあるそうです。

齋藤(早):これまでに自動車産業の金型にも携わり、ロストワックスの業界では多品目の金型を製造してきた経験と実績があります。彼のように、初めから全体のグランドデザインができる人が必要で、プロジェクトマネジメントができることで、お客様に一定の評価を頂いています。
◆―中小企業ならではの強みのように感じます。

齋藤(早):そうですね。会社が大きくなりすぎても難しいのだろうと思います。一つの工程が遅れたら、全体も遅れる。生産管理が非常に重要です。その点、いつもすべての工程をみんなが見える形にしている仕事の進め方なので、チームワークが発揮できます。中小企業ではありますが、すべてを一気通貫してできるダイキ精工が、生き残る理由のひとつかもしれません。コストダウンが叫ばれる中で、中小企業もある意味チャンスであり、当社の場合はこの「提案力」が、お客様の利益向上にもお役に立ててきたと自負しています。
―無くてはならない企業だと思います。

齋藤(宏):これまで50年間、いろんな形、業種の金型、ロストワックスの業界を盛り上げてきました。しかし、この10年は跡継ぎがいない、業種転換できないなどを理由に廃業している会社も増え、ロストワックス製法を行うメーカーは国内で数えるほどです。まだ無くてはならない企業だと思いますが、以前に比べて仕事の量は減っているのも事実ですし、新しいことにチャレンジしていかないと優秀な人材の獲得もできません。
◆当社の強みである「技術力と提案力」を活かした新たな情報発信

―「提案力」をもっとアピールする必要があったんですね。

齋藤(宏):はい、その通りです。私たちの強みである「提案力」はもちろん、その提案力を裏付ける技術やモノづくりの楽しさをアピールしていく必要がありました。次の10年、30年、50年と続く企業にするためには、情報発信が必要不可欠だったのです。そこで試行錯誤の結果、オリジナルブランドを立ち上げようとなりました。
―その名も『ダイキネクスト』。

ダイキネクストの商品ラインナップ

齋藤(宏):情報発信に関しては、私以上に副社長である妻が得意でした。機動力があり、いつも圧倒されています(笑)。そんな副社長と議論を重ね、現場の意見も取り入れながら、私たちのモノづくりの技術を、インターネットを通じて発信していく決心をしました。私たちの技術は、細部まで加工できる技術力と、アルミという素材で様々なプロダクトを作れることが強みです。自分たちの強みを活かす、重要なチャレンジでした。社員一丸となって、チャレンジを恐れず、次の未来へつなぐことをミッションとしたブランド『ダイキネクスト』が誕生したのです。
―ブランドは10年前から構想してきた。

齋藤(宏):社長に就任したころ、実は10年前から構想はしていました。リーマンショックの時に、急に仕事がなくなる恐怖を味わった