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次なるシリコンバレーを目指す世界のエコシステムに捧げる物語:最終話「日本がシリコンバレーから学べること」【ゲスト寄稿】

本稿は、パリと東京を拠点に世界各地のスタートアップへの投資を行っているベンチャー・キャピタリスト Mark Bivens によるものだ。英語によるオリジナル原稿は、THE BRIDGE 英語版に掲載している。(過去の寄稿) This guest post is authored by Paris- / Tokyo-based venture capitalist Mark Bivens. The …

mark-bivens_portrait本稿は、パリと東京を拠点に世界各地のスタートアップへの投資を行っているベンチャー・キャピタリスト Mark Bivens によるものだ。英語によるオリジナル原稿は、THE BRIDGE 英語版に掲載している。(過去の寄稿

This guest post is authored by Paris- / Tokyo-based venture capitalist Mark Bivens. The original English article is available here on The Bridge English edition.


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Stanford University Memorial Arch
CC BY 2.0: via Flickr by Robbie Shade

ここ数週間にわたって、シリコンバレーの歴史と、シリコンバレーのモデルを他の場所でも再現しようしてきた試みを振り返った。

私は、シリコンバレーをまねようとすることは無意味であると書いたが、日本の政府やビジネス界は、シリコンバレーを成功に導いたさまざまな要素からインスピレーションを得ることはできるだろう。イノベーション・クラスターの構築に成功を見出した地域では、人々は自分たちの流儀とユニークな強みを貫き、政府は失敗を罰することなく邪魔をしない環境を整えている。うまくやっている事例として、まず頭に浮かぶのはニューヨーク市だ。しばらく前に会ったニューヨークを拠点とするイノベーターは、ニューヨークがシリコンアレーという名前を捨てたときから、同市の起業エコシステムが本格的に立ち上がり始めたと指摘した。

では、日本がシリコンバレーのモデルから得られるインスピレーションは何か?

これは、2つの理由から回答が難しい質問だ。第一に、シリコンバレーを成功に導いた要素をすべて把握できる人は存在しない。そこにあるのは、ある程度のチャンスと、極めて難しいシリコンバレーをコピーしようとする試みが作り出す認知的不協和だ。

そして第二に、シリコンバレーを成功に導いた主因の一つだが、異常な野心を持った人々が極めて多い環境は、他の地域に容易に輸出できる要素ではない。LinkedIn プロフィールの分析によると、シリコンバレーの住民は、世界のどの地域よりも大きな夢を描いているようだ。LinkedIn プロフィールに「change the world(世界を変える)」というキーワードを入れている人の多さは、世界のどこよりもサンフランシスコ・ベイエリアが際立っている(出典:Venture Capital Dispatch)。

おそらく、より具合の良い質問はこうだ。「私たちの都市にも転用可能な、シリコンバレーのシークレット・ソースの成分とは何か?」

私には、注意して考えるべき、日本にも当てはまるであろう2つの要素が思い浮かぶ。それは、1. 近接と 2. 移民だ。

近接

ここで私が言わんとするのは、教育機関、ビジネスを営む企業、デザインコミュニティが近接していることだ。これらの多様なグループが近接していることは重要で、なぜなら、多くの分野にわたる専門知識を持った人が集まるとき、イノベーションを起こすセレンディピティな出会いの可能性が著しく高まるからだ。フェアチャイルド・セミコンダクターの設立に関わった「8人の反逆者」のうち、最もよく知られる Robert Noyce と Gordon Moore の2人は、そのすぐ近くにインテルを設立した。メンロパークからさほど遠くない場所で、Eugene Kleiner の名で知られるフェアチャイルド三番目の創業メンバーは、パロアルトの近くで HP を退職した Tom Perkins と意気投合し、世界で最も高名なベンチャーキャピタルファンドを生み出した(KPCB)。

より最近の事例で、間違いなく歴史上最も成功した起業努力の一つは、パロアルトのスタンフォード大学で Sergey Brin と Larry Page が出会ったことによる Google の誕生だろう。スタンフォード大学や UC バークレーのような組織が近くにあったことで、Google にとっては、同社が成長する上で、腕のいいエンジニアやマネージャーの採用を容易にした。その一人がスタンフォード大学を卒業した Marissa Mayer で、彼女は Google のホームページを華麗にシンプルなデザインに変えた人物だ。

このデザインの要素は、特に今日のイノベーションにおいて侮れない部分だ。オープンソースコード、クラウドインフラ、HTML のようなオープンスタンダードの急増ににより、新しいハイテクを作り出すことは、かなりやりやすくなった。プロダクトやサービスのイノベーションは、基礎技術の複雑さではなく、ユーザエクスペリエンスの中にある。デザイン、あるいは、より進化した形の創造的知性が、ユーザエクスペリエンスの核を作り出し、シリコンバレーは常に、アーティスト、デザイナー、クリエイティブを作り出す人にあふれている。

移民

わかりにくいかもしれないが、移民も近接と同じく重要な要素の一つだ。電子フロンティア財団(EFF)のディレクター Brad Templeton が、フォーブス誌に「The Real Secret Behind Silicon Valley’s Success(仮訳:シリコンバレーの成功の裏にある、本当の秘密)」という素晴らしい寄稿をしている。その中で、彼は1990年代後半の PC やインターネットのエグゼクティブ向けのハイエンド・カンファレンスで思いついたことを紹介している。ハイテク企業の創業者やエグゼクティブが集まるカンファレンス会場で、あるスピーカーが移民について話したいと述べた。「アメリカ国外で生まれた人は起立してほしい」と聴衆に尋ねたところ、実に半分以上の人々が立ち上がった。

デューク大学の研究者グループはある報告書の中で、移民が創業した企業が2005年には45万件を超える仕事を生み出し、アメリカのスタートアップ創業者の52%が移民であると結論付けた。彼らの多くは以前いた場所での生活をあきらめ、起業の夢に邁進しようとシリコンバレーにやってきた人々だ。

意識を起業へと向かわせる移民の DNA の中には何かがある。それはおそらく、新しい冒険に対して恐怖を抱かず、社会の片隅で生きる能力であり、社会規範や従来からの考えにとらわれず、何かを始める時の一か八かのプレッシャーに負けない強さ、あるいは、これらの要素の組み合わせによるものだろう。

さて、ここから日本が学べるものは何か?

その一つとして、外国人が日本への血縁や由来の有無にかかわらず、才能ある起業家の誕生を妨げない、移民受け入れの政策立案を提案したい。最近、発表されたスタートアップビザのしくみは正しい方向へと進む第一歩であり、このことについて、私は日本政府に拍手を送りたい。ここで最も難しいのは、不正な入国滞在を防ぎつつ、起業家がビジネスを立ち上げるのに必要な滞在日数をどの程度与えるかという、バランスの取りどころだろう。

さらにもう一つ学べるのは、近接することによる人々の相互引力の重要性だ。私は東京のさまざまなイノベーションハブが、オーガニックなクリエイティビティというよりは、不動産デベロッパーらによって運営されている印象を持っている(三菱地所による新丸の内ビル、森ビルによる六本木・赤坂、東急による渋谷エリアなど)。

日本が持つ最上級の交通インフラは人々の距離を縮めたが、クリエイティビティを生み出す上で、人々の出会いがもたらすことの重要性を過小評価してはいけない。

私は、日本の急成長するスタートアップ・エコシステムで日々出会う起業家に感心しており、この国で投資を始めることに興奮している。

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次なるシリコンバレーを目指す世界のエコシステムに捧げる物語:第2話「シリコンバレーのコピー」【ゲスト寄稿】

本稿は、パリと東京を拠点に世界各地のスタートアップへの投資を行っているベンチャー・キャピタリスト Mark Bivens によるものだ。英語によるオリジナル原稿は、THE BRIDGE 英語版に掲載している。(過去の寄稿) This guest post is authored by Paris- / Tokyo-based venture capitalist Mark Bivens. The …

mark-bivens_portrait本稿は、パリと東京を拠点に世界各地のスタートアップへの投資を行っているベンチャー・キャピタリスト Mark Bivens によるものだ。英語によるオリジナル原稿は、THE BRIDGE 英語版に掲載している。(過去の寄稿

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連日、起業家やノマドワーカーでにぎわう、Mountain View 駅前の Red Rock Coffee。ここからも多くのスタートアップが生まれた。(撮影:池田将)

この連載のパート1では、シリコンバレーの物語を簡単に取り上げた。シリコンバレーについて、より詳しく振り返るなら、Piero Scaruffi と Arun Rao が書いた「A History of Silicon Valley」が最もよく包括しているかもしれないし、Robert Cringely の「Accidental Empires(邦題:コンピュータ帝国の興亡)」は、今日のウェブ時代の前にパソコン産業が築き上げられていった様子にフォーカスしている。ヨーロッパからアジアまで、あらゆる国々の政府が努力しているように、地元のコミュニティにシリコンバレーのモデルをコピーを試みる人にとって、シリコンバレーの物語を理解することは重要だ。

これらの政府が長年にわたり、そのような努力を押してみたり、または引いてみたりするのを見てきたが、ここで考えるべき2つの質問を提起したい。

  • 各国政府は、シリコンバレーをコピーしようとすべきなのか?
  • シリコンバレーを、アントレプレナーシップやイノベーションの礎にせしめているのは何か?

Silicon-valley最初の質問については、私の意見では、その答えは概してノーだ。今日のシリコンバレーは、いくつかの要素が独特に組み合わさることで成立している。その要素の中には、計画的なものもあれば、偶発的なものもあり、多くはそれを確かめることすらできない。シリコンバレーのコピーを地元市場に作ろうとする各国政府の試みは、無駄な努力に終わるだろう。

シリコンバレーのモデルは、長年にわたって進化してきた。オープンな市場経済の世界において、30年間にも及ぶプロジェクトを進める力を持った政府はいないだろう。さらに言えることは、シリコンバレーは、政府による国策の結果ではないということである。政府、より詳しく述べれば、カリフォルニア州はシリコンバレーの勃興を促す環境を作ったが、その多くは悪あがきに終わった。今日のシリコンバレーの基礎を作ったのは、民間と多くの武骨の人たちだ。

私が尊敬する経験豊かなヨーロッパのベンチャーキャピタリストは、1997年にシリコンバレーをコピーしようとしたオランダ政府の過ちについて、次のように言っていたのを思い出す。

1997年、オランダ政府は、Twinning という政府支援ファンドを組成し、ITアントレプレナーシップを刺激しようと考えた。意気盛んな時代だった。ともあれ、政府による他の多くのイニシアティブ同様、このアイデアは大失敗に終わった。私の意見では、シリコンバレーのやり方をコピーしても仕方がない。なぜなら、シリコンバレーはユニークな状況・環境・インフラ・知識・経験だからだ。それと同時に、他にはない遺産・長年の経験・歴史でもある。そのコピーに5年かけても仕方が無い。とにかく、コピーすることは意味が無い。

ここでオランダの話を引用したのは、何もオランダのことを悪く言おうという意図ではない。それとは対照的に、オランダはこのレッスンから学習し、今日では、輸出型アントレプレナーシップとイノベーションを振興するロールモデル的な存在となっていると言えるだろう(この点については、次回パート3で詳しく述べたいと思う)。

コピーしようとするな、違う視点で考えろ(Don’t try to copy. Think different.)

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イスラエルのスタートアップ・マップ(出典:Mapped in Israel

「コピーしようとするな、違う視点で考えろ」−−この言葉が多くの地域の挑戦を未然に防いだ事例は存在しない。Silicon Valley(ニューヨーク)、Silicon Prairie(テキサス)、Silicon Roundabout(ロンドン)、Silicon Gulf(フィリピン・ダバオ)、Silicon Welly(ニュージーランド)、Silicon Beach(ロサンゼルス)、Silicon Border(サンディエゴ)、Silicon Desert(アメリカ・アリゾナ州フェニックス)、Silicon Glen(イギリス・スコットランド)など、これらはシリコンの名前で始まる地名の一部に過ぎない。そのリストたるや、シリコン名の多さは実に馬鹿げたものだ。

イノベーション・クラスターを創造する上で成功した地域では、人々は自分たちのやり方と独自の強みを貫いてきた。そのような地域では、政府は失敗を罰しない環境を整え、邪魔をしない。

ニューヨーク市は、この地域のファッションやメディア業界の恩恵に預かり、VC が支援するデジタルメディアスタートアップの、世界で2つ目に大きな市場として頭角を現した(皮肉なことに、シリコンバレー流はファッションでは通用しない)。前ニューヨーク市長の Bloomberg 氏の政策は、ライフスタイルやデザインの活気あるエコシステムを〝招き入れる〟というものだった。

ロサンゼルスは、ゲームのスタートアップにとって、その格好の場所としてのステータスを向上させつつある。言うまでもなく、ハリウッドの映画スタジオに近接していることが重要な役割を担っている。

イスラエルは人口当たりのハイテク企業の数では世界で最も集中している地域であり、世界に輸出する最先端の通信技術やセキュリティ技術を開発する企業がひしめきあっている。

私は、各国政府がシリコンバレーをコピーするのではなく、むしろシリコンバレーを成功に導いた事実要素からインスピレーションを得るべきだと言いたい。この連載の最後となるパート3では、イノベーションを起こしたい日本にインスピレーションとなるかもしれない、シリコンバレーの役に立つ事例を紹介したい。

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次なるシリコンバレーを目指す世界のエコシステムに捧げる物語:第1話「喜びの谷間」【ゲスト寄稿】

本稿は、パリと東京を拠点に世界各地のスタートアップへの投資を行っているベンチャー・キャピタリスト Mark Bivens によるものだ。英語によるオリジナル原稿は、THE BRIDGE 英語版に掲載している。(過去の寄稿) This guest post is authored by Paris- / Tokyo-based venture capitalist Mark Bivens. The …

mark-bivens_portrait本稿は、パリと東京を拠点に世界各地のスタートアップへの投資を行っているベンチャー・キャピタリスト Mark Bivens によるものだ。英語によるオリジナル原稿は、THE BRIDGE 英語版に掲載している。(過去の寄稿

This guest post is authored by Paris- / Tokyo-based venture capitalist Mark Bivens. The original English article is available here on The Bridge English edition.


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「8人の反逆者(Traitorous Eight)」として知られる、フェアチャイルドセミコンダクターの創業メンバー

クイズ:以前「喜びの谷間 (the Valley of Heart’s Delight)」と呼ばれていたのは、どの地域だろう?

ヒント:マサチューセッツの Blackstone Valley でなければ、ベルリンでもない。東ロンドンでなければ、フランスのサクレーでもない。

カリフォルニア州北部サンタクララ郡に広がるリンゴ畑やオレンジ畑が、シリコンバレーにこのニックネームをもたらした。1953年、トランジスタを発明した William Shockley がベル研究所を離れて Mountain View に移り、トランジスタを作る上で、それまでのゲルマニウムよりもシリコンの方が優れた素材であるとの信念に基づいて、ショックレー半導体研究所(Shockley Semiconductor Laboratory)を設立した。Shockley は優れたエンジニアだったが、マネージャーとしてはひどい能力で、1957年には、敏腕エンジニア8人が彼のもとを去り、フェアチャイルドセミコンダクター(Fairchild Semiconductor)を設立した。このときのエンジニアの中には、Gordon Moore の名前も含まれる。

この話は魅惑的な物語の一部に過ぎないが、ヨーロッパからアジアまで、あらゆる国の政府がシリコンバレーのコピーを地元に作ろうとする歴史を振り返るにはタイムリーに思える。

私はシリコンバレーネイティブだ。約40年前、この業界に初めて入った時の私の住処は、ゴールデンゲートブリッジの北にある島 Tiburon だった。東京での短い生活の後、私は幼少の頃の多くの時期を Los Altos で過ごした。シリコンバレーの真ん中にある、眠気を誘うような住宅街だ。私は、Cupertino にある Steve Jobs や Steve Wozniak と同じ高校に彼らから約20年遅れて通った。

この地域を、我々はシリコンバレーと言っていた(「The Valley」ではない。当地に住んだことのない人が時々そのように呼ぶ)。しかし、子供のころは、我々は何かユニークなところに住んでいる、とは必ずしも思っていなかった。80年代のハイテクブームは絶頂で、それは(現代のように)モバイルアプリのデザインではなく、マイクロプロセッサのデザインに関するものだった。

HP、VisiCorp、Varian が、その時代でいうところの Google であり、Facebook であり、Box だ。起業家精神は自然発生的なものであり、誰かから学習を強要されるものではなかった。私は新聞配達の仕事を始めた15歳のとき、初めての起業家体験に遭遇したのを思い出す。それは近所に住む働き者の子供によるもので、彼は地元新聞の町内での配達を牛耳り、後に小遣いを渡して中学生を雇い配達を始めたのだ。San Jose Mercury News は大きなブランドだった一方、質の低い Peninsula Times Tribune は小売店にとって儲けが多いので、うまく補完関係にあった。

おそらく偏在する地震リスクのせいで(目の前をサンアンドレアス断層が走っていた)、その流行トレンドは、創造・拡大・破壊・再生というサイクルを繰り返していた。もちろん、テック企業をガレージでローンチしたギークたちの物語も存在するが、ドライクリーニング屋、ピッツェリア、アイスクリームパーラーといった小規模ビジネスを作った、ライフスタイル起業家の多くの事象について語られることは多くない。フェアチャイルドは後に半導体市場トップの座をインテルに譲り、アイスクリームパーラーはフローズンヨーグルトの店によってディスラプトされた。80年代に栄光を放った前出の3つのシリコンバレー企業においても例外ではない。今日でも HP だけは名前が残っているが、今日のビジョナリーカンパニーのリストを飾る象徴的存在とは言いづらい。

前向きなイノベーションの活動(特に最近では、東京をアジアのフィンテックハブにしようとする日本の計画)の中にあって、私は、シリコンバレーがいかにして現在の形になったか、それを研究してみることに価値があると提案したい。そこから得られる教訓には、日本に当てはまるものも、そうでないものもある。建設的なブレーンストーミングを念頭に、この連載のパート2では、「喜びの谷間」を変化させた数々の事象について取り上げたいと思う。

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