消費者のココロを掴め!ヒットメーカーに聞く「エンタメスタートアップの勝ち筋」ーー小学館 少女コミックSho-Comi 編集長 畑中雅美さん

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本稿はKDDIが運営するサイト「MUGENLABO Magazine」掲載された記事からの転載

日本の共創・オープンイノベーションに関わるキーマンの言葉を紡ぐシリーズ、今回は小学館 少女コミックSho-Comi 編集長の畑中雅美(はたなかまさみ)氏に登場いただきます。

畑中雅美氏は関西大学総合情報学部を卒業し、1998年小学館に入社。以降、小学館『Cheese!』など少女漫画誌の編集者として、「僕は妹に恋をする」などの数々のヒット作を支え、映像化にも関わってきました。2019年からは、創刊53周年を迎えた日本を代表する女性向け漫画雑誌『少女コミックSho-Comi』の編集長を務めておられます。

本稿では、出版界におけるヒットメーカーの視点から見たアイデアの見つけ方、ヒット作の見極め方、また、スタートアップにも応用できる MVP(必要最低限度製品) の実践方法などについて、お話を伺いました。(文中太字の質問は全てMUGENLABO Magazine 編集部、回答は畑中氏、文中敬称略)

ヒット作の生み出し方

作品作りの際は、どんな点を意識していますか

畑中:人の苦しみや悲しみに寄り添うことを意識しています。そもそもですが、漫画はいつ読まれるかというと、人が物語を欲するときです。この世でいちばんのベストセラーが「聖書」というのはよく知られていますが、なぜ、聖書が売れるのか。それは、やはり心の拠りどころになったり、癒やしてくれたりするからだと思います。

本にはいろいろな役割があっていいと思いますが、私は、10代〜30代の女性向けの物語を作る部署に所属することが多かったので、読者の女性たちが漫画を読みたいときはどんなときだろうと考えています。

もちろん、最高にハッピーなときにも漫画を読んでもらいたいですが、できるなら、しんどくてやりきれないなと思ったとき、ふっと漫画を開いたお陰で、疲れがとれるような気持ちになり、ぐっすり眠れて、翌日学校や会社に行けると良いな、と思っています。

その苦しみや悲しみに寄り添う方法について、もう少し詳しく教えてください

畑中:物語には、現実逃避型と現実直視型の2タイプがあると思います。どちらも面白いと思いつつも、私は漫画という生活必需品ではない存在が、読者にとってどうしても必要な存在になるのは、癒やしを欲する時だと思ってるんです。「漫画っぽい」という言葉は、荒唐無稽を意味したり、時に揶揄を含みます。けれど、その「漫画っぽい」夢物語を読むことで、読者は「自分も頑張ろう」と思えたり、辛い現実から一時救われたりしているのだと。だから企画を考える時には「逃避したい現実って、いま何なんだろうな」というのを常に考えています。

数年前の例でいうと、LINEをみんながやり始め、一日に何百件もやり取りしています、という高校生がニュースに出ていたり、SNSにハマってお風呂の中でも返信しちゃうということが話題になっていました。そのニュースを見た時、「そろそろ、これがしんどい子が出るだろうな」と思いました。

小学校に入学するときに「友だち100人できるかな」なんて童謡を皆で歌って、友だちが多い人こそ正解、いないとダメ、いじめられている、みたいな先入観を持ちやすい雰囲気がある日本で、SNSによって友だちの数が可視化されるようになったということじゃないですか。いいねの数、友達の数を他の子と比べてしまったり、返事が遅いと思われたくなくてお風呂の中でまで返信するなんて猛烈営業マンでもしないような即レス状況があるとすると、友達の多い主人公は現実で求められている理想像に近すぎてウンザリして、逆に「私、友だち要らないんだけど」と言う主人公こそ、そろそろ読みたい人もいるんじゃないかな、と。

2021年現在の人々の苦しみや痛みは、どんなものがあると感じていますか

畑中:昭和の時代に男性が言っていたことを、女の子が望んでいる感じがします。たとえば、仕事を一生懸命やっていたら、つい彼氏に連絡するのを忘れてしまった。でも、別にそれは、彼のことが嫌いとか、彼をないがしろにしているわけではなくて、一生懸命仕事をしていたから。

そのことを彼氏はわかってくれていて、「大丈夫だよ」「がんばっている君が好きだよ」と言って待っていてくれる、夢のような男性が現れるみたいな漫画がいくつか出ているんです。これは、完全に昭和のお父さんたちが言っていたこと。昭和の男性がそうだったように、いまの女の子たちは、ちょっと気を張って仕事をしすぎなんでしょう。

どのようにして、ヒット作を出せるようになったんですか

畑中:私は新入社員で小学館に入社して、漫画の編集部に配属されました。最初そんなに仕事もないので、ただ先輩たちが打ち合わせをしている様子とかを盗み聞きしていたんです。そうしたら、みんな熱心なんですね。ただ、びっくりするぐらい、ヒットが出る編集者は一部で、ほとんどの先輩はヒットを出していない。すごく一生懸命打ち合わせをしているのにです。でも、打ち合わせを聞いていると、ヒットを出している先輩編集者と出していない先輩編集者でそれほど内容が違うわけではない。

「この違いは何から来るのだろう?」と思い、最初はどの作家さんを担当できるか、という運もあるのかな、って思ったんですが、そうではなさそうと気づき始めました。

作家さんが推敲を重ねたネームに対して、編集者は「面白い!ばっちりOKです、これで進めてください」と言ってGOサインを出す。「面白さ」に対して、編集者が太鼓判を押したわけです。ところが、漫画が出来上がってみると、ヒットを出したことがない編集者がOKを出した漫画は、読者アンケートが低く、ヒット作を出している先輩編集者がOKを出した作品は、読者アンケートトップ。…これこそが肝だと。つまり、ヒットを出したことがない編集者は、そもそもジャッジが間違ってるんですよ。OKじゃないのに、OKと言ってしまっている。

私たちの漫画編集者の世界では、どんなアドバイスを作家さんにできるかが重要視されがちなのですが、それよりも、OKか否かのジャッジの正しさの方が大切なんじゃないか、と思うようになりました。

ヒットを出さない先輩編集者の作品も、ある意味面白いんです。視聴率は低いけど面白いドラマなんてよくありますよね。読者アンケートで上位にならない作品にOKを出した先輩編集者の感性に大いに共感しつつも、ビジネスとして考えたときには、やはり問題だと思いました。売れないと作家さんは食べていけなくなって、どれほど才能があっても作家をやめてしまう。私の仕事はヒットを出すことであり、逆にいい漫画か否かのジャッジは、むしろすべきではと思うようになりました。考えてみれば小学生の描いた拙い4コマ漫画ですら、尊い作品ですからね。芸術性の有る無しを私ごときが判断するなどおこがましい。私は仕事人としてヒットするか否かだけを判断する編集者になろうと思いました。

最初は過去の漫画作品を読んで、自分なりに読者アンケートの予想を立ててみたんです。まずは、世の中の本の売れ行きと、自分の予測の差異を確かめました。2~3週間くらいで、ざっくりは当てることができるようになりました。ちなみにこれ、メソッドとして新入社員にやってもらったりもしましたが、正直誰でもできるようになりました。

物語の現実直視型と現実逃避型の分析は、どんなことがきっかけで、見えるようになったんですか

畑中:いろいろと細かく調べていくと、裕福な家庭の子や、成績の良い子は現実直視型が大好きということに気づいたんです。成績の良い子にとって、たとえば模試という現実を直視させてくれるシステムは自分が今弱いポイントを教えてくれて、その結果を受けて弱点克服に励む。現実で直視したダメな部分は改善できる部分だからこそ、現実直視することが楽しい。

反対に、それができない場所にいる子もいる。テストで全部赤点…でも、そんなことはテストを受ける前から知っている。しかも、ちょっとや、そっとで勉強をしても追いつかない。なぜなら、自分がどこの勉強から振り落とされたかがはっきりわかっているから。そういう子たちは、現実を直視して良い事なんてひとつもない。現実なんて、むしろ毎日誰よりも直視しているんですよ。だからこそ、そんな自分でも何かできるんじゃないか、自分には秘めた才能があるんじゃないか、ある日覚醒して、自分の可能性が広がることを信じさせてくれる物語が癒やしになる。現実ではなかなか起こらないかもしれない「漫画っぽい」物語、現実逃避の物語を楽しいと感じる。

そして、偏差値の分布がピラミッド状になるように、そういう現実に毎日直面している人の方が数が多かったりする。だからこそ、現実逃避型の物語の方がヒット作となりやすい。

ただ勿論、現実を見つめたい感情と、夢を見たいという感情は、殆どの人が両方持っています。なので大抵は、(現実直視型かの現実逃避型かの)どちらかだけではなく、ハイブリッドで物語を作ります。

時代とともに、人々が持つペインが変化


以前のインタビューで、ハリーポッターやワンピースなどを例に挙げて、自分が与えられた役割や責任に応えていく、というタイプの物語に、90年代後半からヒットの傾向が変わったというお話をされていました

畑中:90年代前半の「努力」の物語って、報われるかどうか解らないことを頑張る物語が多かったと思うんですよ。たとえばサラリーマンの話でたとえると、新入社員で会社に入ったとき、お前なんか、役立たずに決まってるって上司に言われ、誰からも期待されてないけど、なにくそと頑張り、バカにしてきた上司を見返し、何者かになっていく…とか。昭和の名残を感じる粗筋というか。

でも、90年代後半に生まれた物語って、(パチンと手をたたいて)ハイ、あなた新入社員だけど、今日から社長です!かくかくしかじか、こういう事情で、君しかいないんだよ、という期待をいきなり背負う形の努力をする物語の方が一気に優勢になり始めた。

戦後のどさくさみたいな時期が落ち着いて、社会は年功序列で固定化され始め、上司が多すぎて自分が思い通りに仕事を出来るようになるのは40歳を過ぎてから。つまり新入社員なら20年以上後輩として先輩に従わないといけないってこと?そういう大人の世界が子どもの世界にも降りてきて、学校や先輩とか、いろんなものが積み重なっていることが苦しみの現実だとすると、感覚としては(着実にしか自分の歩みを進められない世界だけれど)、「いや~、でも、やらせてくれよ。いますぐチャンスをくれたら、俺にはやれることがあるかもしれないのに」という不満を、皆が持っているんだろうな、と2000年頃は思っていました。

それから20年経ちました。今ですか? 今は、何にもしないで居られたら、と思っている人が多いんじゃないでしょうか(笑)。

今の人たちの持つ苦しみや悲しみ、いわゆるペインは、どのようなものでしょうか

畑中:今の人たちは、20年前に比べて他人の苦しみをものすごく知っていると思います。今の10代は特に、SNSで他人の痛みを本当にたくさん触れて知っている分、自分の痛みを逆に言いだしづらくなっている。10代の中から、多様性という言葉の気持ち悪さみたいな話が、出始めたりしている。多様性といいながら、結局は大人にとって都合の良い多様性を求められているだけなんじゃないかと苦しんでるようです。

それに対して、私たち大人も、ちゃんと語れない。本当は教えているはずなんですよ。まずは、基本的な人権というのがあって、何人(なんぴと)たりとも、他人に自分の権利を侵されない、と。多様性と言いながら、なぜ小児性愛は許されないか?というと、それは他人の権利を侵害するから。

要はなにをしても自由だけれど、他人に被害を与えない範囲でないといけない。そこがいちばん根っこの部分、というのは小中学校で習っているけれど、そういうことを大人が語ってるかっていうと、そうでもない。で、いろんな人に気を遣い、ビジネスで成功するってことも、それも搾取なんじゃないかとか考えてしまう。嬉しいことがあっても、それをSNSに上げることはマウントを取ったと感じる人がいるんじゃないかと気を遣う。どんなことでも、ある角度から見ると、黒い部分がある。どこまでが許されて、どこでダメだと言われるのか。何もかもダメと言われるんじゃないか、炎上を避けるように正解探しばかりしてしまって、人生しんどいと感じているようです。

YouTuberになりたいというよりは、気楽でいたい。(映画「ニッポン無責任時代」の)植木等さんみたいな。必死になんなきゃいけないのはわかっている。ちゃんとする気満々だからこそ、なんか気楽な稼業だって言いたい、みたいなところがあるんでしょうね。

そういう他者危害(排除)の原則さえ守れば自由で、いろいろと可能性があることを、もっと伝えてあげないと苦しくなるばかりですよね

畑中:そうですね、「暗殺教室」という漫画を読むと子どもの頃どれほど大人に期待していたか実感します。先生を殺していいですよってスタートですけれど、先生のほうが何枚も上手で、かっこいい話。先生のこと殺したいと思ったことのある子どもは、意外と沢山いると思って、でもじゃあなぜそんなことを考えるかと言えば、先生のことを尊敬したかったからですよね。期待していたせいで、がっかりしてしまった。だから、子どもの本当の望みは殺すことではなく、先生や周りの大人が素敵な存在で、色んなことを教えてくれることなんだなと。それを体現するような物語です。

コロナ禍という頼もしい姿を一番見せて欲しい時に、大人たちが毎日互いをバッシングしたり、我先に買いだめしたり利己的に動く様子を日々ニュースやSNSで子ども達に見せてしまったことは、本当に胸が痛いです。

コミックにおける MVP の考え方

アイデアの検証は、どのようにされているんですか

畑中:アイデアに関しては、本当に単純で、常にネガティブな意見とか、苦しんでいるものがないかなと探しています。新しい事、物が出てきているときには、同時に、そのことで苦しんでいることがいっぱいあると思うので、そこは意識します。その上で、悩みと本当の望みはイコールとは限らないということを意識しています。

たとえば、「80歳を超える高齢ドライバーに運転免許を返納してもらいたいけれど、どう説得すればいいか?」みたいなことにその子供世代である40~50代が頭を抱えて、自主返納する芸能人を賞賛したりしていますけど、じゃあ高齢者から自力で移動する術を奪って、若者がその代わりに彼らの送り迎えをする未来を夢見ているかと言えば、絶対違うじゃないですか。こういう状況で見せて欲しい絵物語というのは、免許返納の物語ではなく、自動運転が完全に整備されて、死ぬまで自力で車に乗れる世界の話かなぁ…とか。

今だけでなく、過去のアーカイブもよく探ります。今の苦しみと、同じ構造のものが過去必ずあったはず、と思うんですよね。人間の感情って、時代が違っても同じだったりするので。
今苦しんでいるこの問題は、この時代のこれと似てるな、ならば、この話とこれを、ドッキングさせたら、新しい物語になるんじゃないかなっていう風に考えたりもします。

そのほか、ここしばらく流行っていない、でも昔めちゃくちゃ流行ったというものって、やはり回顧し、再び流行が来るんです。それは、どうしても根本的に好きなプロットなんだと思うんですね。そことの組み合わせをやりますね。で、それをやるって決めたときに、仮想読者を立てます。これを支持するのは、何人ぐらいいるかっていうことを考えます。で、その数が、ものすごく少なそうだった時には、社会的に意義があるかどうかで考えます。

ヒット作以外でも、力を入れている作品とかもあるんですか

畑中:ごく稀ではありますが、社会的にものすごく意義があるから進めるというケースもあります。たとえば『Cheese!』の「37.5℃の涙」。『Cheese!』はラブストーリーばかりの雑誌ですが、そこで、子どもが熱を出したときとかに預かってくれる幼児保育士という人に焦点を当てた漫画を連載しています。

要は働くお母さんのいちばんの苦しみはそれだろう、と思ったんですよね。病気の子どもを置いていくなんて、子供より仕事を選ぶのかと自分を責めている。「別に問題ないんだよ、そもそも、あなたは病気に関しては素人だから、幼児保育士に見てもらった方が、子どもの安全のためにも良いよ」という内容です。

『Cheese!』を読んでいる読者の中にも、働くお母さんも絶対にいるはずだから、少数派かもしれないけれど、その読者を喜ばせるものになるし、それは意義もあるし、雑誌にとってもいいだろうと思っていました。結果的に売れて、TBSさんでドラマ化もしました。

閾値を超えたなという、ヒットの確かめ方はありますか

畑中:どんな夢を見せるかを意識して打ち合わせするので、逆を言えば、かなり明確に「こういう人が読者」とイメージしています。なので、まずはそのイメージした読者層の方々に愛されることが最初の目標となるわけで、毎回ではないですが、たとえばTwitterで知った見ず知らずのある1人の女の子をターゲットに、この子がいつかこの漫画を読んでくれて喜んでくれたらいいなと夢想しながら打ち合わせし、帯や宣伝物を作ったりする時もあります。
勝手にこっそり、その子のつぶやきを見ていて、ある日読んでくれたことが解った時は、大興奮します。そういうときには、正しかったんだなと思いますし。やはりヒットしますね。

ありがとうございました