野生オオカミとスタートアップ:エコシステムにもたらす予測不可能な効果【ゲスト寄稿】

Tim Romero 氏

本稿は、Disrupting Japan に投稿された内容を、Disrupting Japan と著者である Tim Romero 氏、翻訳者の堀まどか氏、日本語訳初出のフジサンケイ ビジネスアイの許可を得て、再編集・転載したものです。

Tim Romero 氏は、東京を拠点とする起業家・ポッドキャスター・執筆者です。これまでに4つの企業を設立し、20年以上前に来日以降、他の企業の日本市場参入をリードしました。

彼はポッドキャスト「Disrupting Japan」を主宰し、日本のスタートアップ・コミュニティに投資家・起業家・メンターとして深く関与しています。


イエローストーン国立公園の灰色オオカミ
Image credit: sherryyates / 123RF

イノベーションを促進し、スタートアップに都合の良い環境を作るために何をすれば良いか?

政府の役人や、大企業でイノベーション部門を率いる人からよく聞かれる質問だ。

もちろん、国がイノベーション育成のためにできることはたくさんあるし、現在進行形で省庁が取り組む政策もある。しかし、多くの人は自分たちの提供するプログラムが、スタートアップ・コミュニティの中心になるようなシステムを構想しているようだ。あるいは、スタートアップが自分たちのところに、アドバイスや援助を求めてやって来るような未来を想像している。これは非現実的な見方であり、日本のスタートアップが必要としているのはそんなものではない。

日本のスタートアップのエコシステム(生態系:有機的に結びつきながら共存共栄する仕組み)は力強さを増している。そこに、新しい法人が、財源の大小に関わらず、「リーダー」として、ずかずか入っていくことはできなくなっている。これはとても良いことだ。

東京では、VC(ベンチャーキャピタル)の影響力が強く、スタートアップ・コミュニティを率いるのは、未だにスタートアップ自身ではないのが現状だが、それも変わりつつある。

もはや既存の政治・経済的権力組織が、スタートアップによって社会と経済にもたらされる変化を決めたり管理したりすることはない。

この考え方を、コミュニティ内部の人間が受け入れ始めているからだ。

言うまでもないことだが、政治家や既存の業界トップたちは、この思想を受容する段階に至っていない。日本のリーダーたちは、その大部分がスタートアップを新しい経済のエンジンとして見ており、経済の速度をトップギアに上げて、間違いなく社会全体を利するだろうと考えている。実際、恐らくそうなるだろう。しかし、彼らが思い描いている風に事は進まない。

日本の政治家や企業経営者らが、シリコンバレーのような場所に行くと何が目に入るか。エンジニアリングの革新的サブカルチャー、リスクを取る行動、VC たち。そして、計り知れない富と経済活動を生み出す経営者。これらを見て、自然と、日本でも似たようなものが発展することを夢見る。

彼らの夢は、日本にイノベーションの小集団ができて、それにより好機や経済成長が生まれること。ただし、既存の権力構造や社会慣習はまったく変わらずにあり続けること。こんな夢は絶対にかないっこない。もしスタートアップが日本経済に重要な利益をもたらすようになったら、経済や社会は予測できない方向へ変わっていく。その必然性は非常に強く、自然の法則とでもいえるほどだ。

考えてみてほしい。これまで一羽も蝶が住んだことがない森に、蝶を放せばどうなるか。これまでとまったく同じ森に蝶が加わるだけなんてことはない。森は、必然的に新しい森になる。

蝶が森を変えてしまうからだ。森は、経済や人間社会と同じで、そこにいるすべての物が関わり合うエコシステムだ。蝶の幼虫が食べる草木はその葉を減らし、蝶が媒介者となって受粉する植物は、子孫を増やしていくだろう。幼虫と同じ草木を餌とする昆虫は餌の獲得が難しくなり、蝶を餌とする鳥や小動物は新しい食料源を得て、個体数が増える可能性が高い。蝶が森に加わってから一定期間はいろいろな物のバランスが崩れるが、やがて安定し、新しいエコシステムができ上がる。

安定した後のエコシステムが厳密にどんな風になるか、 蝶を放したときに知る方法はどこにもない。

このプロセスのもっともよく知られる事例は、1995年に、アメリカの世界遺産であるイエローストーン国立公園にオオカミが再導入されてから現在に至るまでのエコシステムの変化だろう。イエローストーンでは野生のオオカミが絶滅したと考えられ、その結果オオカミの獲物であったワピチ(エルク、アメリカアカシカ)が増加し、植生に大きな被害が出た。そこで、30年間の計画や交渉、訴訟を経てカナダから野生のオオカミが輸送され、95年に14頭、翌年に17頭が放されたのである。

オオカミの頭数は計画を上回る水準で増え、関係者の思惑通りワピチの数は減少した。しかし、それだけでは終わらず、オオカミ再導入の効果は広範囲にわたり、予見できなかったところに及んだ。

まず、オオカミがコヨーテの数を制御するようになったため、コヨーテの獲物であったキツネやウサギの数が増えていった。また、オオカミの出現によって行動範囲を変えざるをえなくなったワピチはむき出しの谷や川岸を避けるようになり、これらの場所では数年でヤナギなどの植生が回復し始めた。そこに、鳥や絶滅寸前であったビーバーなどが住むようになり、イエローストーンの生物が多様化した。

さらに、植物が大地を覆うようになると、川岸の土壌浸食が治まり、川の流れが安定するようになったのである。川は深く、より緩やかに流れるようになった。9000平方キロの広大な国立公園に31頭のオオカミが放たれたことにより、エコシステムは生まれ変わり、地形まで変わることになった。

新しい外来生物

イエローストーン国立公園の動物たち
Image credit: varfolmeija / 123RF

さて、オオカミの再導入が、日本のスタートアップとどう関係するのだろうか。

重要な変化がもたらされれば、どんなエコシステムも、その隅々まですべてが変わる。日本経済において、スタートアップはまだ比較的新しい外来の生物である。しかし、そこに存在することによって、すでに周囲に影響を与え始めている。ゆっくりとではあるが、大企業はスタートアップと直接取引を始め、協業するようになっている。企業の合併と買収(M&A)は、かつては経営に行き詰まった企業の身売りとしてのみ行われていたが、企業の長期的な経営戦略のひとつとして機能し始めている。次世代のスタートアップに資金やノウハウを投じようとする20代の若手投資家も急増している。

これらの変化はすべて社会に役に立つ変化であり、しかもその変化は加速している。スタートアップはすでに日本経済と社会を変え始めている。誰もが予想していた通りスタートアップの数が増え、小さな会社からさまざまなイノベーションが生まれ、増え続けている。

しかし、私たちの目にまだ見えていないものがある。日本経済と社会全体に及ぶスタートアップの副次的な効果である。その多くはおそらく良い効果をもたらすものだが、中にはどうしても喜べない「副作用」とも呼ぶべき効果があるだろう。何が起こるか、確実に先読みできる者はいないが、変化が起こった後には誰の目にも明らかになる。

日本経済の川はその流れの方向、深さ、スピードを変えるに違いない。まさにイエローストーン国立公園の川の流れが変わったのと同じように。全体として見れば、スタートアップ増加後のエコシステムはより力強くより多様性を増したものになるだろう。

しかし、そのエコシステムの中にあって喜んでばかりいられない者もでてくる。ワピチやコヨーテはこれまでと同じように行動してはいられない。場所を変え、戦略を変えて、これまでよりも強くならなければ、生き延びることができないからだ。

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