日本のスタートアップ・エコシステム支援への思い——シリコンバレーVC校條浩氏へのインタビュー【ゲスト寄稿】

ゲストライター by ゲストライター on 2015.10.6

本稿は、Richard Solomon 氏が Beacon Reports に寄稿したインタビューを日本語に翻訳したものである。

This article was authored by Richard Solomon and originally published in English on Beacon Reports. The Bridge translated and reproduced the article under the approval from Beacon Reports.


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写真提供:Beacon Reports

日本のスタートアップ・エコシステムは、シリコンバレーよりも15年から30年遅れている。インフラの不足が日本経済に重くのしかかる。スタートアップを支援する経験豊かな起業家、メンター、資金提供する個人や組織からなる堅固なネットワークがなければ、新しいビジネスの形成は、他の適合の早い国に取り残されることになる。シリコンバレーのベンチャーキャピタリスト兼アドバイザーの校條浩(めんじょう・ひろし)氏は、この状況を変えたいと願っている。

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校條氏は最近、Hack Ventures を立ち上げた。大阪市と共同で運用する48億円のベンチャーキャピタルファンドだ。このファンドは、日本の主要都市やシリコンバレーに拠点を置く、将来性のある IoT のスタートアップに50万ドルから100万ドルを投資する。

Hack Ventures を通じて、校條氏はシリコンバレーのソフトウェア開発の力と、日本が長けている〝ものづくり文化〟をつなぎたいと考えている。大半の起業家が拠点としている東京以外にも日本のスタートアップ・エコシステムを拡げ、シード資金後の調達ラウンドとなるシリーズAの資金供給不足を助けたいと考えている。最も重要なのは、日本が他人とは違った考え方をする人を受け入れるようになってほしいと、校條氏が願っていることだ。

校條氏は若いころ、教師や上司たちから、彼の遠慮の無いダイレクトな表現の話し方が好きではない、日本社会にそぐわないと言われた。ボストンの MIT(マサチューセッツ工科大学)で、彼と同じく率直な表現をする人が多いクラスメイトらと共に修士号の勉強をした後、彼は日本文化をより広い視野で考えるようになった。MIT では、彼は完全に受け入れられた。後に校條氏はシリコンバレーに戻り、アメリカに移り住んで32年が経った今、彼は「自らのキャリアを築く上で学んだ知識を、日本の若い起業家の道を開くために使うべきだという、義務感のようなものを持つようになった」と語っている。

校條氏は1978年にコニカに入社し、写真フィルム技術の化学エンジニアとして勤務していた。1981年、ソニーが世界初のフィルムを使わないカメラ「マビカ」を発表したとき、彼のもとで警鐘が鳴った。校條氏はデジタル技術が、いつの日か写真フィルムを衰退させるだろうと悟った。ムーアの法則に基づいて、IC はその能力を2年毎に倍増させているのとは対照的に、写真に関わる光化学は100年間変化していない。さらに、デジタルがアナログを超えるのは30年以内だろうと考えたわけだ。

校條氏はコニカの経営陣にこの脅威を伝え、従来からの写真フィルムの代替となる技術研究に配置転換してくれるよう懇願した。その願いもむなしく、彼は従来のフィルム研究に従事し続けるよう言われた。

君の仕事は、この会社で他の仕事より100倍いい。仕事を楽しみなさい。

校條氏の不安は高まった。

これを本当に研究しなければならないんです。

彼はそう言って、今儲かっているビジネスが目前にあるために、新しい技術の開発が遅れ、会社全体のダメージとなることを恐れた(俗に言われる、「イノベーションのジレンマ」という症状である)。

その先見性にもかかわらず、校條氏は反逆者のレッテルを貼られるようになった。彼は上司と仲違いし、3人からなる小さな R&D チームに配置転換され、液晶ディスプレイの研究をすることになった。最先端の液晶ディスプレイ技術を学ぶため、彼はボストンの MIT に派遣してくれるよう会社を説得した。これは思いがけない幸運だった。1983年、MIT のキャンパスに到着して1週間も経たないうちに、彼は日本では変に見られていた行動が、MIT ではごく当たり前に見られることに気付いた。

物議を醸す発言は尋常ではない、といつも言われてきた。しかし、MIT では皆、私のこと極めて普通だと考えてくれた。

ベル研究所をはじめ、MIT の教授たちが校條氏の眼をイノベーションへと開かせた。

材料科学の修士号を取得した後、校條氏は日本のコニカの勤務へと戻った。しかし彼はほどなく、上司にうんざりさせられることになる。校條氏は先進的な液晶ディスプレイの研究のために、会社に1,000万ドルを投資してクリーンルームの開設してほしいと考えていた。彼が上司に嘆願すると、上司の答えは「わかった、その話をまたの機会に聞こう」。一年後再び同じ質問をしても、答えは同じだった。そのままさらに一年を無駄にするのはやめ、校條氏は「イノベーションの最先端で生活すべく、コニカを離れることにした」と語った。

ボストンコンサルティンググループで世界企業を顧客にコンサルタントとして勤務した後、校條氏はシリコンバレーに移住し、これまで24年間にわたって IT 分野に従事してきた。共に仕事をした人々の中には、Steve Jobs 氏がアップル初の PC を開発するのを手伝った Regis McKenna 氏などがいる。

2012年の終わり、大阪市の橋下市長に起業家精神の拡大に手を貸してほしいと頼まれ、校條氏は大阪市のアドバイザーに就任した。そして後に、48億円のベンチャーキャピタルを共同で立ち上げることになったわけだ。このファンドの10%は、大阪市からの出資である。

お役所仕事と向き合い、役所向けの報告書づくりに手間のかかる業務を敢えて引き受けようとした理由について、校條氏は、日本には東京以外の多くの都市にも、活気あるスタートアップ・エコシステムが必要だからだ、と説明した。

シリコンバレーに住み、グローバルな経験をした稀な日本人として、義務感を持っている。日本経済すべてに対して、重要なことだ。

ゲストライター

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