<ピックアップ> HelloFresh Cooks Up $50 Million Series D From Insight Venture Partners
オンデマンド宅配ばやりですが、2012年創業のHelloFreshが5000万ドル(100円換算で50億円)の調達です。HelloFreshはその名前の通り生鮮品の宅配(というより定期購入)サービスで、月間100万食品を配達しているとのこと。日本ではそうですね、ヨシケイとかが近いでしょうか。
via TechCrunch 【G翻訳】
<ピックアップ> HelloFresh Cooks Up $50 Million Series D From Insight Venture Partners
オンデマンド宅配ばやりですが、2012年創業のHelloFreshが5000万ドル(100円換算で50億円)の調達です。HelloFreshはその名前の通り生鮮品の宅配(というより定期購入)サービスで、月間100万食品を配達しているとのこと。日本ではそうですね、ヨシケイとかが近いでしょうか。
via TechCrunch 【G翻訳】
<ピックアップ> $2M-funded Review Trackers helps you learn from online feedback — and manage bad reviews レビュー獲得および管理のプラットフォームを提供するReview Trackersが200万ドル(100円換算で2億円)調達しました。既に存在しているレビューサイトで自社製品の評価を横断的に管理…
<ピックアップ> $2M-funded Review Trackers helps you learn from online feedback — and manage bad reviews
レビュー獲得および管理のプラットフォームを提供するReview Trackersが200万ドル(100円換算で2億円)調達しました。既に存在しているレビューサイトで自社製品の評価を横断的に管理できるサービスで、創業は2012年。類似サービスにはReputation.comやYextなどがあるそうです。
Diggの共同ファウンダーでシリアルアントレプレナーのJay Adelson氏 6月18日にOpen Netowork Labで開催された「FailCon Japan」。そのキーノートスピーカーとして登場したのが、ソーシャルニュースサイト「Digg」の共同創業者でシリアルアントレプレナーのJay Adelson氏だ。 「嵐を乗り切る方法はあるのか?2度の経済危機で2度の失敗から学ぶスタートアップの…
Diggの共同ファウンダーでシリアルアントレプレナーのJay Adelson氏
6月18日にOpen Netowork Labで開催された「FailCon Japan」。そのキーノートスピーカーとして登場したのが、ソーシャルニュースサイト「Digg」の共同創業者でシリアルアントレプレナーのJay Adelson氏だ。
「嵐を乗り切る方法はあるのか?2度の経済危機で2度の失敗から学ぶスタートアップの防衛術」と題されたキーノートで、同氏は過去8回の起業体験の中から2つの会社、「Digg」と「Equinix」に焦点を当てた。
image via. Susan
トークはまず、これから共有する過去の失敗のメタファーとして、最近自宅で起きたというあるエピソードから始まった。自宅の窓がだいぶ大きくて開放的なのだろうか。2週連続で、鳥が窓に激突するアクシデントが発生したと言う。
野生動物を保護することに慣れている彼の妻は、1回目は助けようと鳥に走り寄っていった。ところが、それを見つけた飼い猫が宙に舞い、鳥を口にくわえ、最終的には鳥を殺してしまった。
2回目に同じことが起きた時、妻は何もせずただ静かに鳥を見守った。すると、少しして鳥は自ら起き上がり、フラフラしながらも空高く飛んで行った。
Adelson氏は会場に問いかけた。1回目に鳥が死んでしまったのは、猫のせいなのか、鳥自身のせいなのか、それとも窓のせいなのか。例えば、窓にステッカーを貼るようなことをしていたなら、今回のような残念な結果にはならなかったのか。ここで学ぶべき教訓は何なのか。
「僕が言いたいのは、状況によっては、“何もしない”ということが答えかもしれないということだ。場合によっては今より手を緩めるべきなのかもしれないし、もっと力を入れるべき時もあるだろう」
何度起業すればシリアルアントレプレナー(連続起業家)と名乗ることができるのかは曖昧だが、Adelson氏は間違いなくそれだろう。過去8回の起業経験があり、現在も新しいプロジェクトに着手している。
最初に起業したのは1993年、米国初のインターネットサービスプロバイダーとなった「Netcom」を共同設立し、同社は1995年に上場。
1997年には当時IBMほどの規模だったというDigital Equipment Corporationに引き抜かれ、「AltaVista」という初の検索エンジンやWi-Fiを開発した。
その後、1998年に創業したのがEquinixだ。同社は今では世界で最も大きいデータセンター企業で、23ヶ国にオフィスを構え、2,000ヶ所以上にデータセンターを持つ。同社は2000年の夏に上場している。
さらに2004年、ソーシャルニュースウェブサイトの「Digg」をKevin Rose氏と立ち上げた。Diggにはウェブ上のコンテンツに投票する仕組みがあり、大衆が選ぶネット上の人気コンテンツが可視化される場として瞬く間に成長した。
その1年後の2005年には、Revision 3という米国初のインターネットTV局をローンチ。「Diggnation」といった人気の独自コンテンツを配信し、その後、Discovery Channelに買収されている。
「2010年には、SimpleGeoという位置情報サービスの会社を立ち上げた。アプリ開発者に対して位置情報を提供するような事業だったけれど、問題は時期がちょっと早かったこと。1年、いや1年半早過ぎた。2011年に事業を売却した」
そして最も最近では、2013年初期に「Opsmatic」という、チームの生産性向上のためのツールを開発する会社を共同設立。同社は現在も好調だが、創業時、契約書に「コミットする期間は1年間」とあらかじめ記載したのだと言う。
「僕はスタートアップを立ち上げることに中毒だから、最初からコミットする期間を限定して参加した」
Adelson氏は、こうした華麗なる過去の起業体験のなかでも、特に「Equinix」と「Digg」で経験した失敗に絞って話を進めた。
どちらも2度の経済危機の最中で事業を展開し、それぞれ異なる判断を下した事例なのだと言う。
まずは、世界最大のデータセンター企業であるEquinixの話から。1998年に共同ファウンダーと立ち上げた事業は、その後2年間で巨額の資金を調達し、Cisco、Microsoft、AOL、Dell、スタンフォードといった優良投資家が名を連ねていた。
データセンター構築には莫大な費用がかかる。ましてやそれを世界中に構築するのだから、資金がいくらあっても足りないくらいだと考えた。
「シリーズAで1200万ドルを調達して、その後もシリーズBで8250万ドルと次々に調達した。2000年にはシリーズCで1億ドルを調達して、その後もそれは続いた。まるでチャンピオンのような気分だったよ」
同社は2000年の8月に上場し、その3週間後、Adelson氏は30歳の誕生日を迎えた。たった2年間という短い期間でこのすべてをやってのけた自分たちが誇らしかった。
資金もあり、さらに追加調達することも可能で、顧客も大勢いた。インターネットの成長スピードは凄まじく、美しく巨大なデータセンターが次々と出来上がっていた。また彼らは、データセンターの構築からサービスの提供におけるまで、さまざまな特許を取得することも忘れなかった。
ところが2000年、ナスダック市場が崩壊。上場して手にしたはずの富が、実は紙切れに過ぎないことを思い知らされる。彼はその皮肉を、Equinixのパーティに展示されていたという氷の彫刻の写真を見せながらこう話した。
「ひとつ確かなアドバイスをするよ。会社が氷の彫刻をつくり始めたら、それはきっと悪い知らせだと思ったほうがいい(笑)それが美しければ美しいほど一時的なものだから」
image via. Alex Proimos
時間をかけて徐々に起きた市場崩壊を予見することは誰にもできなかった。Equinixは、史上最悪のタイミングで上場してしまったのだ。
当時、新しいデータセンターの構築に既に投資していたし、ひとつのデータセンター構築には最低でも18ヶ月という期間がかかる。後戻りはできなかった。
ナスダック崩壊に拍車を掛けるように、その後テレコム業界が崩壊し、当時ナンバーワン企業と言われた優良顧客企業が次々に破綻していった。
こうした市場の落ち込みを受けて、3ヶ月に一度1億ドルを調達できる怖いもの知らずの時代から、一切の資金調達の道が閉ざされた。それでもインターネットは勢いを止めることなく成長していたが、誰も新たにデータセンターを買うことはなく、状況は絶望的だったと言う。
「2001年9月に、ニューヨークで見込み顧客と打ち合わせをしている時にCEOから電話がかかってきた。「100人解雇しなきゃいけない」と言われた。それは当時のEquinixの従業員の大半だった」
そして、火に油を注ぐように9.11のアメリカ同時多発テロが起きた。市場の崩壊、テレコム業界の崩壊、そしてテロリスト攻撃。企業によるITへの支出はぴたっと止まった。
「僕たちは、景気後退の時期に投資することを決めた。でもそれは間違った判断だった。もし、1年前にコストカットを進めていればどうにかなっていたかもしれないけれど、それも定かではない。もう会社は潰れたも同然だと思ったよ」
ところが、その後、奇跡が起こり、破綻直前に他のデータセンター企業との合併話が決まり、会社は救われた。当時抱えていた負債の80%(3億ドル)は株式に姿を変え、新たに3000万ドルの資金を得ることができた。
そのわずか1年後には、Equinixの株はナスダックで最も買いのストックになり、現在では世界中に数千人の従業員を雇用する世界一番のデータセンター企業になっている。
2005年当時のDigg (via. WayBack Machine)
2004年にKevin Rose氏と立ち上げたのが、初のソーシャルメディアウェブサイトの「Digg」だ。Diggのアイディアを思いついたRose氏から声がかかったことで始まった。
翌年の2005年にはシリーズAで280万ドルを調達し、ユーザー数も数百万規模に成長していた。その後シリーズBも調達し、TechCrunchなどで買収のウワサ話が絶えないほど調子が良かった。
「Diggでは、いろいろな意味で新しい試みにチャレンジした。例えば、タウンホールにユーザーを集めて、ファウンダーに直接質問が出来るような機会を設けた。Twitterなんかが登場する前のことだから、当時は斬新だった。その後、2007年に企業として初めてAPIを公開した。朝起きて仕事に行く一番の理由は、Diggの濃いユーザーコミュニティだったね」
ところが問題が勃発する。2007年5月、当時はSONYのBlu-rayとHD DVDの規格争いが繰り広げられている最中。著作権保護機構で用いられるキーの暗号解除に成功した者が現れ、著作権保護コンテンツがDiggに流出し始めたのだ。
著作権保護機構から停止命令を受けたDiggは弁護士に相談し、そうしたコンテンツの取り下げを実行した。
この一連の動きに対してユーザーは黙ってはいなかった。「言論の自由」を訴え、1秒に1つ、禁止された情報を投稿することでDiggのサイトを占領したのだ。最終的に、Diggはユーザーの声を受け入れるしかなかった。
「この時に学んだのは、Diggを支配しているのは僕たちではなく実はユーザーだということだった。僕たちは、自分たちを超える、とてつもなく大きなものをつくってしまったんだ。判断は僕たちではなくユーザーにあった」
この騒動の後、Diggへのメディアからの注目はさらに高まった。2006年〜2008年頃のメディア関係者にとって、Diggは格好のトラフィックマシーンだったからだ。
絶好調かのように思われたDiggに災難が降り掛かったのは2008年のこと。
「僕たちはGoogle Disaster(Google惨事)と呼んでいる。当時Googleにいたマリッサ・メイヤーから一本の電話がかかってきた。Google Newsを開発中で、一緒に組まないかと。Googleは巨大過ぎてちょっと躊躇したけれど、彼らと一緒になることは従業員にもユーザーにもメリットになると思った。金額の桁も違ったしね。いいエグジットかもしれないと思って交渉を進めた」
すべての交渉が終わって買収の合意に至り、Googleから条件規定書まで送られてきていた。ところが、忘れもしない2008年6月、お金が送金される前日になってGoogleは話を白紙に戻したのだ。
「あとちょっとで億万長者になるはずだった従業員や投資家に対して、それは夢だった、何事もなかったかのようにまた明日も仕事に来てくれと説得しなきゃいけなかった。でもこういう出来事があると、人は二度と元には戻れない。誰しも、「あの時もしも…」と考えずにはいられないからね」
そんな惨事に見舞われた2ヶ月後、Diggはまったく新しい投資家から2850万ドルを調達した。チームも気持ちを切り替え、新たに登場したTwitterやFacebookとも上手くシナジーが生めるかもしれないと思っていた矢先に起きたのがリーマンショックだった。
「またしても市場が崩壊した。でも前回とは違った。Equinixの時のように構築途中のデータセンターはなかったし、Diggには既に何千万というユーザーがいたし、その数は日に日に増えていた。市場は崩壊したけれど、でもここは投資すべきだとCEOや役員を説得したんだ」
世界の市場は火の海で、ドットコムバブルははじけたが、それでもAdelson氏は投資を続けるべきだと判断した。ここで、Adelson氏は伝説的なIntelのCEOであるAndy Grove氏の言葉を引用した。
「こうした時期における私たちの哲学は、景気後退から逃れることはできないということ。景気後退に陥った時よりも強くなってそれを抜け出すには、新しいプロダクトと新しいテクノロジーが必要だ」
こういう時だからこそ、イノベーションへの投資を止めてはいけない。周囲の人間を説得できたと思った矢先、Sequia CapitalのチェアマンのMichael Moritz氏が投資先のすべてのCEOに招集した。Sequia Capitalはシリコンバレー最大のベンチャーキャピタルだ。
「Michael MoritzがスタートアップのCEOに向けた行ったプレゼンテーションには、かなりビビった。目的は、変わりつつある市場についてCEOに注意を呼びかけることだった。「R.I.P. Good Times」と書かれたスライドを今でも覚えているよ。そう、溢れるような資金が手に入った“良き時代”は終わったんだって」
資金調達ができるなら今のうちにして、もし会社を売却できるなら今直ぐにでも売却しろと。そして、従業員を解雇して事業を縮小するようにアドバイスがされた。
この話を聞いた後も、景気後退のなかで投資すべきというAdelson氏の考えは変わらなかった。残念ながら、周囲の人間を説得することに失敗し、2010年4月にDiggに別れを告げた。
その後、残ったRose氏はVCの言う通りに90%のスタッフを解雇し、Diggをリニューアルしてもう一度やり直す計画だった。
「プロダクトシフトは超リスキーな判断だ。でも、VCは動くならデカく動くことを好む。片方では人員を削減しろと言い、もう片方では大きなリスクをおかしてプロダクトシフトを実施しろってね」
残念ながらその6ヶ月後、生まれ変わって登場したDiggは失敗に終わった。リニューアル後に迎えた初めての週末の間に、ユーザーベースは瞬く間にDiggからredditへと移っていった。
Adelson氏は、この2つのマクロ経済に揉まれる起業体験から何を学んだのか。最初のナスダック市場の崩壊では、景気後退にも関わらず投資を決めた結果、危うく会社が破綻するところだった。
2回目のリーマンショックでは、逆に縮小することをした。ところが、そのためにイノベーションのサイクルが減速し、素晴らしいチャンスを失った。このイノベーションの停止こそが、事業をダメにした何よりの理由だったと振り返る。
「一度目の失敗を踏まえて、それを活かして二度目の判断を行えると思った。でも、結局そんな風に応用することはできないんだ。ここで学ぶべきは、「コンテキストがすべて(状況次第)」ということだと思う」
大切なのは、細部の情報よりも「全体像」である。周囲で起きていること、その時の状況を適切に把握することだ。とはいえ、危機の最中で冷静に全体像を見ることは困難をきたす。
「以前の経験に比べてみたところで、結局コンテキストが違うんだ。大切なのは、自分の直感を信じること。データを見て、市場で何が起きているか、自分の会社に何が起きているかを見て、ベストを尽くして判断を下す。過去に基づく神話的な教訓に依存すべきじゃない」
8つの起業体験でさまざまな失敗を繰り返し、たくさんのことを学んだと話すAdelson氏。何より学んだことは、失敗をしても立ち直り、再び立ち上がること。殴られても起き上がってまたやり直す。そして学ぶ。この繰り返しが今も続いていると言う。
最後に会場からいくつかの質問が寄せられたが、そのなかでもDiggのマネタイズに関する質問をご紹介する。
広告モデルで運営されていたDiggだが、Adelson氏はスタートアップ、少なくとも一般消費者向けのサービスに関しては最初からマネタイズの話をすることは順序が違うと指摘する。
「例えば、C向けのサービスを運営するスタートアップが、シリコンバレーの典型的なVCに会いにいったとする。僕たちのビジネスモデルはこうで、今後こうやってマネタイズしていくと話したとするよね。きっと笑われて終わる。その前に、ユーザーを獲得できることを見せてみろって言われるだろうね」
そう、Twitterのモデルだ。まずは膨大な数のユーザーを集められるか。そこで超成長を見せられるか。大事なのは、マネタイズできるかを証明することではなく、それについてきちんと考察し、そのポテンシャルを模索していることだと言う。
「Diggの場合、2006年頃、1ヶ月の訪問ユーザー数は3000万から4000万人だった。当時は世界でトップ50のウェブサイトに入っていた。そもそも広告モデルは爆発的なトラフィックがないと成立しない。地域で切っても、バーチカルで切ってもそれは機能しない。という意味では、広告モデルというあり方はあまり現実的ではない」
以上、日本で初めての開催となった「FailCon Japan」のキーノートの内容をお届けした。
2012年末に掲載されたMashableの「Jay Adelson is Looking for the Next Big Thing」という記事にあるように、Adelson氏の動きに業界人は常に注目している。
ミクロにとらわれ過ぎず、マクロを見る視点を忘れないこと。そして最後は直感だと話す彼の話が、少しでも多くの起業家の役に立つことを願う。
<ピックアップ> Why Uber will fail in Jakarta, and why it won’t Uberが香港とベトナムで操業を開始したそうです。記事にもありますが香港はタクシー天国でどうして進出が遅れたのかわかりませんが、これでアジアパシフィック地区でのUber利用可能地区は25カ国になりました。 特にベトナムやシンガポールでは現地でがんばっているGrabTaxi(…
<ピックアップ> Why Uber will fail in Jakarta, and why it won’t
Uberが香港とベトナムで操業を開始したそうです。記事にもありますが香港はタクシー天国でどうして進出が遅れたのかわかりませんが、これでアジアパシフィック地区でのUber利用可能地区は25カ国になりました。 特にベトナムやシンガポールでは現地でがんばっているGrabTaxi(東南アジア中心に6カ国)との戦いが気になるところでもあります。
これは北米で繰り広げられてるLyft同様、パワープレイになったらひとたまりもなさそう、と思いきや、シンガポールで話を聞くと「いや、両方使ってるよ」という話もあるので、とりあえずスコールの中でタクシーつかまればなんでもいいというのが本音かもしれません。
<参考記事> Uber、「ライバルLyftのドライバーを引き抜いてくれたら250ドルの無料券あげる」という直球を投げ込む
さて、ひとつ気になる記事がTech in Asiaにありました。ジャカルタではUberは苦戦するだろう、という話題です。ざっとかいつまむと理由は下記の通り。
一方で、ワークする可能性の方も言及しています。
アジア圏は各国でその課題が少しずつ違いますので、こういった課題をひとつひとつ眺めながら、Uberの展開方法を追いかけるのも大変興味深いです。
3D Systemsは、「脊椎側彎症(せきついそくわんしょう)」という脊椎(背骨)が側方に弯曲する病気の子供のために、3Dプリンターを使ってカスタムメイドされた専用のコルセットを作るという試験的プログラムを発表した。 脊椎側彎症の子供は、症状の程度にもよるが専用のコルセットを平均2〜3年間、毎日装着し、症状の悪化を抑えなければならない。3D Systemsはこうした子どもたちのために、軽量で快適な…
3D Systemsは、「脊椎側彎症(せきついそくわんしょう)」という脊椎(背骨)が側方に弯曲する病気の子供のために、3Dプリンターを使ってカスタムメイドされた専用のコルセットを作るという試験的プログラムを発表した。
脊椎側彎症の子供は、症状の程度にもよるが専用のコルセットを平均2〜3年間、毎日装着し、症状の悪化を抑えなければならない。3D Systemsはこうした子どもたちのために、軽量で快適な素材を用いて、近未来的な幾何学パターンの独特なデザインのコルセットを制作する。
このプロジェクトは、スタンフォード大学のJames Policy氏とRobert Jensen氏、オークランド病院の22人の子供患者とのコラボレーションによって実施された。試験的に実施てみたところ、総合的に患者からは既存のコルセットより3Dプリントされたコルセットの方が着心地が良いという反応を得ることができたそうだ。
「ファッションとデザインとテクノロジーを融合させて、患者にもっとアピールできるようなコルセットをつくること、また、医療的にもっと効果が認められることがこのプロジェクトのゴール。」
と、3D SystemsのデザイナーであるScott Summit氏は述べている。
これは患者が毎日使うカスタムメイドの医療用具の制作も3Dプリンターで作れるようになるひとつの事例だ。今後もこうした課題の解決に3Dプリンターを効果的に活用するケースが増えてくると良いと思う。
アジアを舞台に活躍するCinammonのCEO、平野未来さん 「ベトナムとタイを拠点に、世界規模のコミュニケーションサービスを目指して走る「Cinammon」の平野未来さん【前編】」の後編をお届けします。 「なぜ?」が違う、一度目と二度目の起業 三橋:実際に起業してみてどうでしたか。これまでの経験で特に活きているものってありますか。 平野:いや、もう本当にたくさんあり過ぎて、これって一つ挙げられな…
アジアを舞台に活躍するCinammonのCEO、平野未来さん
「ベトナムとタイを拠点に、世界規模のコミュニケーションサービスを目指して走る「Cinammon」の平野未来さん【前編】」の後編をお届けします。
三橋:実際に起業してみてどうでしたか。これまでの経験で特に活きているものってありますか。
平野:いや、もう本当にたくさんあり過ぎて、これって一つ挙げられないくらいですね。資金調達もそうだし、チームのマネージメントについてもそうだし。でも、今回のCinammonは二度目の起業なので、一度目でいろんな危機への対応能力はつきましたね。起業って本当にジェットコースターみたいなものなので。
三橋:他に、一度目の起業と二度目の起業とで違っていることってありますか。
平野:大きく違うのは、「なぜ?」のところですかね。ネイキッド・テクノロジーの頃は、精神的にすごく辛かったんですよ。なんでかって言うと、周りが見てかっこいいと思うことをやっちゃっていたから。自分が本当にやりたいことよりも、そっちが全面に出てしまっていた気がします。その時に、自分に嘘をつかない生き方をして、自分のやりたいことをやろうって心に決めました。
三橋:自分がつくりたいものをつくる、と。同じ辛くても乗り越えられる感じなのかしら。
平野:今は例え何か危機があったとしても、それを辛いとは思わないです。仕事とプライベートのON/OFFがなくて、常にONでそれが楽しいので。コミュニケーションサービスをつくりたいので、今まさにそれをつくっていますね。
三橋:SNSが登場した時の感動もきっかけだったり?
平野:私が過去にすごいなって心底思ったサービスは3つあって。Eメール、匿名チャット、SNS。Eメールに最初に触れて、離れている人に瞬時に届くってすごい!と思ったし、匿名チャットでは世界が広がる感じがすごく楽しくて。この3つに共通するのは「コミュニケーション」という部分で、自分もそういうサービスがつくれたら最高だなって。何億人っていう規模に使われるサービスをつくりたいです。
三橋:その世界規模で闘う舞台としてシンガポールを選んだ理由は?
平野:そもそも、私は学生時代からバックパッカーで世界中を回っていて、その中でもアジアがすごく好きでした。シリコンバレーという選択肢も考えたんですけど、世界中から優秀な人材が集まっているから競合も多いし、英語力と文化がわからないというハンデもあります。それに比べて、アジアなら先進国メリットがあるし、近い分だけ文化も理解できたり、英語も何とか通じたりするので。
三橋:今の拠点はベトネムですけど、現地の人を採用する上で気をつけていることがあれば教えてほしいです。
平野:やっぱり、一番大切なのは人選ですね。ベトナムに行った初期の頃と今のメンバーは、完全に入れ替わっているんです。当時はまだベトナムに子会社を設立する前で、外国法人による現地人の採用は法律で禁止されているので。現地の会社にアウトソーシングして人を採用したら、スタートアップという環境には無関心の「志がない優秀なエンジニア」が集まってしまいました。
三橋:ベトナムでは、働くモチベーションも日本とは違うのかな。
平野:そうですね。ベトナムは全般的に働くことのモチベーションが金銭なんです。日本人みたいにやりがいを大切にしないので、仕事が終わっていなくても定時には帰る。でも、途中から独自に採用をするようになって、よりスタートアップという環境や自社プロダクトに携わることへのモチベーションがある人材を集めることができました。
三橋:なるほど。これまでを振り返ってみて、平野さんにとってのターニングポイントってどこでしょう。
平野:mixiにいる時に、とあるユーザー調査をしたことがあったんです。その時に、「人って数種類くらいにしか分かれないんだな」って思ったんですよね。当時は大学生を中心に話を聞いていたんですが、本音を隠すのが上手い大人に比べて、ストレートに話してくれるので価値観みたいなものが浮き彫りになって。
三橋:どんなタイプに分かれると思いました?
平野:大きくは3つですね。
で、じゃあこの中で自分はどこに入るかな?と思った時に、3つ目の「周りにどう見られるか」を気にするタイプだって気がついて。人にどう見られるかを突き詰めていく人生って、かっこ良くないなって思ったんです。
三橋:すごい、調査結果とにらめっこしながら人生のターニングポイントを迎えたんだ。
平野:そうです(笑)エクセルに向き合ってのターニングポイント。私のロールモデルは、未踏プロジェクトでお世話になったソニーコンピューターサイエンス研究所所長の北野宏明先生という方で。起業も先生が発破をかけてくださった部分がありました。
自分の信念で動いていて、何事も本当に楽しそうに目をキラキラさせて話すんです。「他人からどう見られるか」を気にする今の自分のままでは北野先生みたいにはなれない。これはもう自分のマインドを変えないとダメだなって思いました。
三橋:最後に、平野さんのようにグローバルに活躍されている人に憧れる女性ってたくさんいると思うんですが、何かメッセージをください。
平野:私が感銘を受けた他の人の言葉のフォワードなんですが(笑)昔から、あまり先のことを考えてもね…と思うタイプで、以前はそれじゃダメなんじゃないかって思っていたんです。
でも、Facebookのシェリル・サンドバーグさんが、「いつ結婚して、いつ子どもを生んで、とスケジュールのことばかり考えずに、今自分が情熱のあることに集中しなさい」とおっしゃっていて。
三橋:情熱を感じるままに注力していれば、おのずと道は切り開ける?
平野:じゃないかな。これはイイ!と思うことに出会っても、その勢いって放置しておくとだんだん時間減衰しちゃうじゃないですか。だから、いいと思ったらすぐ動かないといけないなって。とにかく打席に立って打ってみること。これを大切にしてほしいです。
三橋:明るくてチャレンジ精神旺盛な平野さんとお話していて、こちらまで元気をもらいました。今日はどうもありがとうございました。