創業者、田中良和CEOが語るGREEのこれまでとこれから

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【翻訳 by Conyac】 【原文】

スニーカー、ダークブルーのジーンズ、シンプルな黒のカジュアルな装い。田中氏は典型的な技術者オタクに見える。暖かいシンガポールの天気がカジュアルな装いを思いつかせたのかもしれない。GREEの若き創業者、田中良和氏は私と握手すると名刺を渡し、他の日本人ビジネスマンと同じようにお辞儀をした。私は彼の真摯で丁寧な態度に敬意を覚えながら、何とかぎこちないお辞儀を返した。昨年、北京で一度会っているが、その時は会話はごく短いものだった。

多くの人が知るように、マーク・ザッカーバーグは世界で最も若くして億万長者となった人物の一人である。しかし、田中良和氏は32歳という若さで16億米ドルという途方もない財を築きあげた。現在、彼は34歳である。

彼の起業家としての物語は、彼が新卒だった1999年にまでさかのぼる。グリー株式会社より以前に、新規事業を立ち上げた経験は皆無であった。しかし、彼は常に巨大なインターネットビジネスの熱心な信奉者であり続けた。彼曰く、WIREDマガジンの日本語版が彼のひらめきの源となっていたそうだ。

「当時、インターネット業界でのAmazon、eBayやYahooの驚異的な成長を目の当たりし、それに触発され、自分でもやろうと考えた 」と田中氏。しかし、他の意欲的な事業家と違い、彼はすぐにこの世界に飛び込んでは行かなかった。「まず仕事で経験を積みたかった」と彼は語った。

学び、成功することを切望していた

田中氏は1999年3月に日本大学を卒業し、一ヶ月後にはSony 関連のインターネットプロバイダーであるSo-net Entertainment Corporationにリクルートされたが、あまり長居はしなかった。

「So-netで働いている時はそれはそれで充実していたが、もっと新規事業立ち上げのような環境や文化のある分野に移りたいと思った。So-netは事業経営を学ぶには会社の規模が大き過ぎた」と話す。So-netで10ヶ月働いた後、田中氏は50番目の従業員として楽天で働き始めた。

今でこそ世界でも有数のeコマース大手になった楽天だが、田中氏が入社した当初はまだ設立3年目のスタートアップだった。彼は楽天にいたことで、スタートアップの経営手腕に触れることができのだ。また楽天で自分の力量を試すチャンスにも恵まれた。

「楽天の商品群に関する技術的な仕事以外に、オンライン商品のレビュー、ブログネットワーク、また加盟者の市場調査など・・・マーケティング業務にも従事していた」と彼は説明した。田中氏はまる4年楽天に在籍し、チームの一員としてeコマース大手として2000年の4月のJASDAQ上場、 楽天トラベルの発表、2003年のInfoseek Japan K.K とDLJSecuritiesの買収に立ちあった。

そして、自身が起業するに際してこれらの経験は全て役に立ったのだ。

10億ドルの趣味

楽天で業務に従事している間も、田中氏は海外の動向に目を向けていた。2003年、田中氏はアメリカとアジアで多くのユーザーを獲得した ソーシャルネットワークのFriendsterに触発された。田中氏は無限の可能性と成長性を秘めたオンラインソーシャルネットワークのコンセプトに興味をそそられた。彼の事業家魂に火がつき、ソーシャルネットワークのコンセプトを何とか日本のマーケットに適応させられないかと考えるようになった。

2003年の終り頃、GREEの最初のバージョンを開発するため自分でプログラミングを始めた。単なる道楽だった。そして、ソーシャルネットワークのサイトとして、2004年の2月にGREEをリリースした。

GREEが初めて公に紹介された後の成功は非常に早かった。GREEは最初の頃はPC専用のソーシャルネットワークサイトだった。一ヶ月が過ぎ、GREEのユーザー数は1万人を超えた。2004年の10月には、10万人を超えた。マーケティングに使うお金は一銭もなかったが、ユーザーの口コミによって次第に人気を帯びていった。

そして、トラフィックは予期せぬ問題を引き起こした。GREEを正常に運営するためのサーバーを管理する人を雇う必要に迫られたのだ。 彼の新しいネットワークはもはや趣味の域を超えていたのだ。初期段階の成功を味わった田中氏は、次のステップに移るために楽天を辞め、全てのエネルギーを GREEの開発に注ぎこんだ。2004年の12月に楽天を去り、フルタイムの事業家としての歩みが始まった。

GREE Inc.の誕生

楽天を去った直後の2004年12月に、GREEのロゴが正式な会社のロゴとして商標登録された。そして、GREE Inc.が正式に誕生した。

事業拡大を早急に進めるには、優秀な人材を確保するための新たな資金が必要だった。2005年の6月にGlobis Capital Partnersから1億円(現在のレートで130万米ドル)の資金を調達した。その資金で人材を確保し、オフィスを拡張した。田中氏は昔に得た資金調達の経験を活かしたのだ。

2005年と2006年、Google やYahooの成功の影響で投資家は日本のオンライン検索ビジネスにより投機の重きを置いていた。そのため、ソーシャルネットワーキングサービスにはあまり関心を示さない投資家もいた。

それでもなお成長は堅調に推移し、GREEは日本の通信事業者から注目され始めた。2006年の6月に、GREEはKDDIから3億6000万円(およそ460万米ドル)の出資を受けた。

その結果として、2006年の11月にEZ GREE(現au one GREE)がKDDIの公式モバイルサービスとして開始された。その3か月後、GREEはNTT Docomoの公式モバイルネットワーキングサービスとなった。そして2007年の3月には会員数が100万人に達した。

将来のインターネットは、モバイル

この堅調な成長にも関わらず、田中氏はまだ満足していなかった。

今後のインターネットはモバイルが鍵だとずっと思っていた。2010年には、ウェブ市場よりもモバイル市場が大きくなると既にその当時に予想していた。なので、モバイルベースのソーシャルネットワーキングサービス向けにGREEの開発を進めたのだ。

資金調達や提携関係が進行する中、田中氏は既にモバイル構想も進行させていた。しかし、田中氏が計画していたのは単なるモバイルソーシャルネットワーキングサービスではなかった。

単なるモバイルのソーシャルネットワーキングだけではつまらない。我々はユーザーにゲームを提供したかったのだ。そして、ゲームもまた、GREEのビジネスモデルとして計画された。

数ヶ月後の5月、GREEの最初のゲーム「釣りスタ (Fishing Star)」が発売された。田中氏は、携帯ゲームを通じて仮想商品を売るという考えは既に日本でPCゲームで展開されている同じビジネスモデルに触発されたものだった、と説明した。GREEにとってゲームと仮想商品はビジネスモデルの金鉱となった。2011年会計年度のサービス(仮想商品とソーシャルゲーム)の総売上げは7億米ドルに達した。

IPO、そして海外展開

2008年12月、GREEは東京証券取引所マザースに上場した。2009年4月そのユーザーは1千万人に達し、14か月後の2010年6月には2倍の2千万人となる。

同年、GREEは東京証券取引所1部に上場した。ビジネスは大規模なものとなっていたが、まだ日本国内に限られたものだった。さらなる高みへ導くには海外へビジネスを拡大する必要がある事を田中は知っていた。彼の計画の一部には、中国と米国、世界の2大市場でのビジネスが間違いなく含まれる。

2011年1月、GREEは中国のTencent(騰訊)と提携して共通のAPIを開発することにした。中国人ゲーマーをターゲットにしたいGREEの日本人開発者は、ローカリゼーションのサポートによって、GREEのゲームをTencentのプラットフォームに移設しようしている。中国人開発者が日本のマーケットにゲームをリリースしたいと考えているのと同じだ。田中氏が言うには、今まで2つのゲームがGREEからTencentへ、そして1つのゲームがTencentからGREEへ移されているとのことだ。

Tencentとの提携は大切にしたいが、同時に中国の独立系ゲームデベロッパーとも共同開発を進めたい。中国にとって、GREEがその市場に進出することにとって重要なことだ。

だがGREEが本当に国際舞台に進出したのは、2011年4月のOpenFeintの1億米ドルの買収である。これにはアメリカ市場に強いインパクトを与えようとするGREEの考えがよく表れている。また、他のビジネスとの有意義な提携を確立しようとアメリカで常に模索している。それはFacebookやZyngaのことだろうか。田中氏はこう説明している。

当社ではFacebook上でゲームを配信する計画はありません。しかし、Facebookとの提携の可能性は検討しています。Facebookだけでなく世界中の様々な企業も同じなのです。

これまでに、GREEは海外オフィスを中国、シンガポール、韓国、英国、ブラジル、オランダ、ドバイ、それにアメリカのサンフランシスコに展開している。

GREEの世界共通ゲームプラットフォーム

GREEの世界共通ゲームプラットフォームの展開は、今年の4月から6月の間が予定されている。世界中でGREEのゲームが楽しめるワン・ストップ・ショップにする予定だ。当初は英語版と日本語版で配信してから、続いて14カ国語に対応する。

ご存じの通り、当社にはGREEとOpenFeintの2つのプラットフォームがありますが、この両社のプラットフォームを統合してGREEプラットフォームと呼ぶことにします。世界共通プラットフォームが配信されてからは、その名称をGREEに統一する予定です。OpenFeintとGREEの良いところはすべて1つのプラットフォームに収められます。

GREEの2つのプラットフォームを1つにするという動きは、本当のグローバルなソーシャルゲームプラットフォーム企業に向けての大きなステップだ。GREEは最近、中国や韓国の主要ゲーム開発会社とのパートナーシップを発表した。新しいプラットフォームでさらにたくさんのゲームが使えるようになる。

田中氏は私に、80%の収入を海外から20%を国内から得ている、という日本のゲームコンソールの巨大企業であう任天堂にインスパイされていると語った。現在GREEの収入のほとんどは日本市場で生まれている。田中氏は「任天堂がグローバル市場で成し遂げた事に奮い立たせられ同じことを成し遂げたい」と話す。

GREEグループ(GREE及びOpenFeint)は現在、世界に1.9億人のユーザーを抱え、さらに「インターネットの力で世界をよりよき場所に」を推し進めようとしている。これはGREEの公式企業メッセージだ。田中氏はコーヒーの最後の一口をすすりながら言う。「僕は本気でそう考えてるんだよ」、と。

ゲームは最大の「形」のエンターテイメントです。だが、世界中の皆がゲームで遊ぶわけではありません。特にコンソールゲームに関して言えばユーザーは2億人だけです。私達が想像出来ない事ですが、遊びたくてもゲームに接する機会が無い人がいるんです。だから携帯でゲームが出来れば、携帯を持つ世界中の誰もが我々のゲームを遊べるようにすべきだと思っています。

【via Penn Olson】 @pennolson

 

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