世界に挑むスタートアップたち(1)最初の壁/小林清剛 × ACV 林智彦【ACVポッドキャスト】

SHARE:

本稿はアクセンチュア・ベンチャーズが配信するポッドキャストからの転載。音声内容をテキストにまとめて掲載いたします

アクセンチュア・ベンチャーズ (ACV)がスタートアップと手を取り合い、これまでにないオープンイノベーションのヒントを探るポッドキャスト・シリーズです。旬のスタートアップをゲストにお招きし、カジュアルなトークから未来を一緒に発見する場を創っていきます。

トヨタ、ホンダ、ソニー、松下、任天堂・・。19世紀後半から20世紀にかけ、日本を代表する企業たちは国の屋台骨となる事業を世界に向けて展開し、大きな成功を納めました。それから数十年、事業の主戦場は製造業から通信・サービスへと様変わりし、AppleやMicrosoft、Googleに代表されるその顔ぶれも大きく変わっています。

そして21世紀。

日本にも世界的なインターネットの本格的な波が到来し、2010年代からは新たな起業の仕組みとなるスタートアップから数多くの起業家たちが生まれることになりました。今回のポッドキャストに登場する小林清剛さんもその波の中でスタートアップし、挑戦を続ける一人です。

まだスタートアップという言葉すら耳慣れない2010年代前半。創業した企業を大手通信会社に売却し、彼はその経験を元に更なる挑戦を求めて渡米します。いくつもの困難を乗り越え、米国でチャレンジする起業家たちを集めた「ファミリー」と共に、投資家として、また自身も起業家として挑戦を続けています。

ポッドキャストでは、自身も米国でのビジネス、及びスタートアップ起業経験がある、アクセンチュア ソング/アクセンチュア・ベンチャーズの林智彦がお話を伺いました。本稿ではその一部をテキストにしてお送りします。なお、一部敬称については略させていただきました。

ポッドキャストで語られたこと

渡米組が最初に経験する「壁」

2011年に小林清剛さん創業のアドテク企業「ノボット」はKDDIグループ入りを果たす(当時の小林清剛さんの写真)

小林さんは1981年生まれの連続起業家で、大学在学中にコーヒーの通販会社を設立。そこから彼の起業人生がはじまります。

彼のスタートアップ人生において、大きな一つの転換点が大手企業によるバイアウト経験です。2009年に創業したスマートフォン広告事業「ノボット」は国内第2位の規模に成長し、創業からわずか2年の2011年、彼はその企業をKDDIグループに売却しました。

ノボットの売却後、しばらくの時を経て小林さんはアメリカ・サンフランシスコに移住します。二人の話題はそこからはじまりました。

林:サンフランシスコの連続起業家、コミュニティを運営されているキヨさんをゲストにお招きしました。アクセンチュア・ベンチャーズの中でもグローバル、そして先端的なテクノロジー・Web3・AIのところはかなり注目している領域なので、そのようなビジネス、そしてコミュニティの運営についてキヨさんのお話を聞いていきます。

小林:今、アメリカのサンフランシスコに住んでます。10年ぐらい前に引っ越してきまして、その前は日本でノボットというモバイル広告の会社をしていました。その会社の規模が日本で2番目ぐらいになってKDDIに買っていただいて、その後にこっちに引っ越してきました。こっちでいろいろな事業にトライしてみたりとか、あとは個人でも出資をしていて、大体40社ぐらいにエンジェル投資みたいな形で(中略)出資をしたりしています。

今はですね、Web3の分野で、偽名を活用して差別とか偏見なく実力で勝負できるというような働き方を支援するツールを作っていて、新たなMVPをトライして(中略)いる段階です。

ーー小林さんは渡米後の2013年、サンフランシスコで外食体験を友人間でシェアするサービス「Chomp」を設立し、2015年には同じくイグジットを経験した起業家たちと共に投資グループ「TokyoFoundersFund」を共同設立するなど精力的に活動します。

そんな彼の元にはやがて、米国で同じく起業を志す若者たちがやってくるようになりました。小林さんは後進の起業家たちが抱える、ある共通した課題について語ってくれました。

林:ベイエリアに進出するとき、起業家の方とかその周りの方から「こういうことってよく聞かれるんだよね」という質問があれば、お伺いしてもよろしいでしょうか?

小林:(中略)一番多いのはビザですね。次が英語の問題です。(中略)あとよく言われるがインナーサークルにどう入るのか。一番カジュアルな話だと最近何が流行ってますかとかです。課題としてはやっぱり英語、ネットワーク、もうちょっと年齢層上がってくると、どこに住むのか、子供の学校をどうするのかとか、そういう話は増えます。

林:私も起業時代にアメリカでトライした際は、とにかくまず現地ベイエリアに家族で住んで、最初の課題である語学力を上げつつ、現地になじむところから始めました。現地でビザをどう取得するかの課題にもぶちあたりましたね。こちらで活躍されている日本の起業家の方にはどういう(中略)アドバイスされることが多いでしょうか?

小林:一番よくあるパターンが、最初はESTAで2、3カ月間ぐらい来て、その後にBビザを取って大体半年ぐらいいて、それで資金調達をしたりとか、あと資金調達を既にしてる人だとEビザを申請して、EビザもE2ステータスっていうのとE2ビザがあります。

E2ステータスは、取るとアメリカから出れなくなっちゃうんですが2年間分が結構簡単に取れるので、その後E2ビザで5年間とって、その後はOビザとかグリーンカードに移るみたいなのが一番多いです。

(中略)僕が来た9年前はそういうノウハウが全くなくて(中略)それが僕らがベイエリアで勝負する日本人の起業家コミュニティを作ったきっかけです。そういうノウハウを共有して、今はほとんどビザはもう問題にならないじゃないかという感じになってきています。(中略)

林:まさに集合知ですね。私も当時それを見ていればよかった、だいぶ変わったんじゃないかなというのが実感です。

小林:僕も欲しかったです(笑。

林:英語に関してはどのようなアドバイスをされてますか?

小林:僕自身も来る前に(中略)英語を勉強していました。しかしそれではそんなに伸びなくて、実際こっちに来て住んでみて、ミートアップに参加したりとか、友達を作ったりとか、あとは従業員に日本語話せない人が入ることで、劇的に伸びるんですよね。実際こっちに住んでみるのが一番早いですね。(中略)こっちで長く住んでスタートアップすれば必ず話せるようになるので、そこも実はあまり大したものじゃないと思ってます。

小林さんたちが運営する「Techhouse」。日系起業家たちが集うコミュニティの中心地に

ーーこのようにして小林さんは自身の事業だけでなく、後進としてやってきた起業家たちの「お兄さん」としてアドバイスを送り続けます。その象徴となるのがテックハウスの存在です。ここは日本からやってきた起業家たちが共同で生活を送れるシェアハウスで、常時6人から、多いときで10人ほどが滞在しているそうです。

ここからはリモートワーク環境完備のサービスアパートメント「Anyplace」創業者の内藤聡さんや、オフサイトミーティングの「Retreat」創業者、山田俊輔さんなどが巣立っていきました。小林さんはこの場所こそが世界に向けた挑戦に必要な「足がかりになる」と語ります。

林:キヨさんが関わられているテックハウスについてもお話を伺ってもよろしいでしょうか?

小林:はい。(中略)こっちに来て何をしていいか分からないときに、そこに例えば1カ月とか2、3カ月とか住んでもらえると、そこで一緒に住む人たちから、こういうこと大事なんだとか、こういうのが課題なんだとわかるんです。(中略)元々は6、8年ぐらい前に、内藤聡くん(Anyplace 創業者)と長谷川ヒロくん(Ramen Hero 創業者)と一緒にパルボアパークっていう場所で始めました。そこでも通算で2、300人ぐらい泊まって、ただ2人も忙しくなってきたのでそれがなくなって第2号として今、ここにあるという感じです。

林:まさに成功と失敗の知恵が受け継がれていっている場所ですね。このあと、取材させてもらうのが楽しみです。

小林:一通り僕らが失敗してきた経緯があるので、これからこっちで勝負する人は、同じ失敗をしなくてもいいようにしたいなと思っています。そうすると僕らの失敗が、ある意味成功というか、後に継げるんで、そういう環境を作っていきたいなと思ってます。

次回:陥りやすい「三つの罠」へつづく

Members

BRIDGEの会員制度「Members」に登録いただくと無料で会員限定の記事が毎月10本までお読みいただけます。また、有料の「Members Plus」の方は記事が全て読めるほか、BRIDGE HOT 100などのコンテンツや会員限定のオンラインイベントにご参加いただけます。
無料で登録する