ルクセンブルクのスタートアップ・シーンは今—名だたるテック企業の世界展開が、ヨーロッパの小国から始まる理由

by Masaru IKEDA Masaru IKEDA on 2013.7.9

clausen-bus6月17日から約1週間にわたって、筆者はルクセンブルクを訪れていた。ルクセンブルクはフランス、ドイツ、ベルギーに囲まれた小国で、面積は神奈川県とほぼ同じだ。ヨーロッパのスタートアップ業界のハブの一つになりつつあるこの地で、毎年6月に政府主導で ICT Spring というカンファレンスが開催されている。(詳細はこの記事でカバーしている)

現在のルクセンブルクは、活動的なシード・スタートアップのコミュニティが存在するというよりは、一定のステップを経たスタートアップが、次なる活路を見出しにやってくる場となっている。バルト三国のエストニアで産声を上げた Skype が、資金調達を目指して本社をルクセンブルクに移転し、その後、eBay や Microsoft に買収されるに至ったのは有名な話だ。

ヨーロッパ全体の0.1%に満たない人口が、同地域の40%のGDPを稼ぎ出していることからも想像できるように、ルクセンブルクの人件費や物価は、まわりの国と比べてみても高い。実際、隣国のドイツやフランスに住居を構え、国境を越えて毎朝通勤している人が少なくない背景にはそんな実情がある。それにもかかわらず、世界の名だたるスタートアップやテック企業が、ロンドン(関連記事)やパリ(関連記事)やベルリン(関連記事)ではなく、ルクセンブルクにヨーロッパの拠点を開設するのはなぜだろうか。

今回のルクセンブルク滞在に際して、スタートアップを支援する組織やしくみを垣間みる機会を得た。日本で一定のステップを経て、次の進路をヨーロッパや世界に定めているスタートアップは、ぜひ参考にしていただきたい。

ルクセンブルクの ICT を牽引するテレコム企業「P&T Luxembourg」

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P&T という名前からも想像がつくように、ルクセンブルクの郵便と通信を司る企業だ。100%政府出資による会社で、同国の通信大臣の監督下にある。Jean-Marie Spaus 氏と、Micaël Weber 氏の説明によれば、ルクセンブルクはヨーロッパのほぼ中心に位置しているので、この国のデータセンタにサーバを配置すると、ヨーロッパ全域にサービスを提供する上でレイテンシー(データの伝送遅延)が少ない。これは NexonKabam といったゲーム企業が、ヨーロッパ拠点にルクセンブルクを選ぶ上で大きなファクターとなったようだ。実際、日本のサーバに、ルクセンブルクから traceroute してみると、概ね2〜3ホップで、近隣のフランクフルト(ドイツ)、アムステルダム(オランダ)、ロンドン(イギリス)などにルーティングされているのがわかる。

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P&T Luexembourg の国際ビジネス開発担当長 Micaël Weber氏

さらに、政府の戦略で、一般家庭に光ファイバーを引き込む Fiber-to-the-Home (FTTH) を急速に進めており、2015年までにすべての光ファイバーを 100Mbps 対応に、2020年までに 1Gbps 対応にすることを目標としているそうだ。

ところで最近、海外に行くと、ことネットワーク・インフラに関しては、スピードやレイテンシーの問題よりも、ルーティング制御について論じられているシーンに出くわすことが多い。これは、プライベート・クラウドの隆盛と関係している。数年前、メールサーバが国外にあるとの理由から、フランスの国会議員が公用で BlackBerry の利用を禁止されるというニュースが注目を集めたことがある。この問題と背景がやや似ているが、特にアメリカの企業などで、アメリカのデータセンタにあるプライベート・クラウドを利用しようとすると、一部の地域ではルーティングの都合で、

アメリカにある自社オフィス

カナダのネットワーク

アメリカのデータセンタにある自社のプライベート・クラウド

…とデータが流れてしまい、カナダ国内においてはカナダの法律が適用されるので、プライベート・クラウドの利用を敬遠するアメリカ企業が少なくないらしい。ヨーロッパでも同様の事象が生じるのは時間の問題だろうから、P&T Luxembourg などがどう取り組んで行くかに注目したい。ちなみに、日本の場合は IX(=Internet Exchange) が限定されているので、日本の企業が国内のクラウドにアクセスするとき、海外のネットワークを経由して接続されるケースは皆無である。

世界中からスタートアップ誘致を試みる「ルクセンブルク商工会議所」

chambercommerce_constructionルクセンブルクの空の玄関、フィデル空港から程遠くないエリアに Kirchberg という新市街が広がっている。その名も John F Kennedy と名付けられた広幅道路が街を縦貫しており、景観を守るため車両の進入が制限されている旧市街とは対照的に、EUの支部や政府機関、ビジネスセンターなどが密集していてアクセスしやすい。訪問したルクセンブルク商工会議所はガラス張りの近代的な建物だったが、もはや手狭になりつつあるようで、隣に新館を建設中だった。

ルクセンブルクのスタートアップ誘致策を語る、経済貿易省・シニアアドバイザーのRomain Fouarge氏
ルクセンブルクのスタートアップ誘致策を語る、
経済通商省・シニアアドバイザーのRomain Fouarge氏(右)

小国のルクセンブルクは街と国がほぼ同義なので、商工会議所が国際的な企業招聘を振興する機能を持っている。会社をルクセンブルク国内に設置すれば、創業者や社員は必ずしもルクセンブルク国内に住んでいなくても、税優遇を始めとする政府支援を受けることができ、政府が非常に小さいことから、会社の登記手続に必要な日数もかなり短くて済むとのことだ。ルクセンブルクの多くの場所では英語が通用するものの、英語は公用語ではないため、公的な手続の多くはドイツ語、フランス語、または、ルクセンブルク語で進めることになる。ただ、実際の手続は、東京のルクセンブルク貿易投資事務所などが支援してくれるので、日本人にとっても、言葉は大きな問題にならないとのことだ。

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商工会議所の1Fには、非常に美味しい料理が提供できるカフェテリアがあり、通訳ブースを備えた本格的な国際会議にも対応できるカンファレンス・ルームが併設されている。フィデル空港からバスに乗ると、飛行機が着陸してから、このカンファレンス・ルームにたどりつくまで30分かからない。ロンドンのヒースローやパリのシャルル・ド・ゴールなら、着陸後30分後と言えば、バッゲージ・クレームでまだ荷物を探しているタイミングだろう。あなたのスタートアップがルクセンブルクにヨーロッパ拠点を作り、世界から客人を招いてカンファレンスを催す際には、このような施設が使えるのも魅力の一つだろう。

インキュベーションを展開する、欧州横断データセンタ会社「Data4」

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Data4 について説明する、 Chairman の Gary Kneip氏。
Data4 Chairman の Gary Kneip氏

Data4 は、ルクセンブルクに本拠地を置くデータセンタ・サービス会社だ。その本社は、ルクセンブルク市内から車で30分程の Bettembourg という街の広大な原野の真ん中に存在する。現在、ルクセンブルクに4つ、フランスに2つ、イギリス・イタリア・スイスにはそれぞれ1つずつデータセンタ施設を所有している。数ヶ月前までは SecureIT という旧称で活動していたが、ビジネスの幅が広がるに従って SecureIT という名前では事業の実態に似つかわしくなくなったので、Data4 に改称したそうだ。

 

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Europe4Startups 代表
Hélène Michel 女史

この Data4、それに世界的なコンサルファームでルクセンブルクでも存在感のある Ernst & Young、ルクセンブルク政府が三位一体となり、昨年から Europe4Startups というインキュベーション・プログラムを開始している。このインキュベーション・プログラムの参加スタートアップには12ヶ月間にわたり無償でクラウド・ストレージが提供され、期間終了後は(有償での)契約を延長する義務を課されることはない。プログラムに選出されてから3ヶ月以内にヨーロッパで(私の記録が正しければ、ルクセンブルクには限定していないと言っていた)オペレーションを立ち上げ、6ヶ月以内に実際のサービスを提供開始することが条件だ。

昨年のプログラムには100社以上から応募があり、これまでに、JeeniTreveriContentAir をはじめ11のスタートアップを輩出した。今年のプログラムでは日本からもスタートアップ2社を選抜し、10万ドル相当のサービスパッケージを提供する計画だ。Europe4Startups インキュベーション・プログラムへの申込はこちらから。締切は7月20日(土)となっている。

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また、7月25日(木)には、東京・広尾の駐日EU代表部で ICT Spring 2013 を振り返るイベントが開催されるが、この機会には前出の Europe4Startups 代表 Hélène Michel女史が来日し、インキュベーション・プログラムについてスピーチをする予定だ。ルクセンブルクのスタートアップ、インキュベーション事情について、生の声を聞いてみたい人は出向いてみるとよいだろう。

なお、諸事情によると思われるが、インキュベーション・プログラムへの申込締切は、このイベントの開催日よりも前のタイミングにスケジュールされている。したがって、イベントで話を聞いてから申込に臨むことはできないので、プログラムについて質問があれば、イベントを待たずに、info [at] europe4startups.com に問合せることをお勧めする(英語、ドイツ語、フランス語で質問可)。

スタートアップ・ハブとしての、ルクセンブルクのポテンシャル

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ルクセンブルク中央駅

いろんな国のスタートアップと会って来た立場から、ルクセンブルクのスタートアップやテック企業で働く人々を見て思うのは、見るからに心に余裕がある点だ。アメリカのスタートアップは一見ロジカルでストイック、アジアのスタートアップはラバータイム(または,インドネシア語で jam karet)・ベース、それに対して、ルクセンブルクをはじめとするヨーロッパのスタートアップはあくせくしていない。彼らは別に悠々自適に時間を過ごしているわけではないが、要するに「人生を楽しむのを犠牲にしてまで、スタートアップしてどうするの?」ということだろう。結果として、スタートアップすることが楽しみにつながっている。うらやましいのは、職場と息抜きの場、住居が近いことだ。

例えば、イベントの合間を縫って、ルクセンブルク中央駅(Gare Centrale du Luxembourg)近くにある Nexon Europe のオフィスを表敬訪問してみたのだが、そこからルクセンブルク随一の繁華街・ダルム広場(Place d’Armes)にあるバー密集地まで徒歩で10分だ。街一帯に HotCity という公衆WiFiサービスが提供されており、スマートフォンは国際ローミングしなくても、飲食をしながら高速なネットサーフィンが楽しめる。ダルム広場からさらに10分も歩けば、風景はまるで奥多摩の山の中のようになり、ホテルにたどりつくことができた(下写真参照)。他のヨーロッパの都市と違って治安がいいので、深夜に酔っぱらいながら無防備に歩いても、強盗やひったくりに合う可能性は低い。雑多なことに気をとられないで済むので、一日の体力の多くをビジネスに注いでも、疲れ果てて家路につくことはまずないだろう。

近隣のヨーロッパ諸国に比べ、日本人にとって馴染みが薄い国ではあるが、ヨーロッパ展開を模索するスタートアップにとって、ルクセンブルクへの拠点開設は一考の価値がありそうだ。実際、今回の ICT Spring 2013 を機に、ChatWork や Conyac は、ルクセンブルクにヨーロッパ拠点を開設すると発表した。今後、さらに多くの日本のスタートアップが彼らに続くことを期待したい。

今回の訪問にあたっては、ルクセンブルク経済通商省・東京投資貿易事務所の松野百合子女史、長窪良恩子女史、Lux2Japan の古賀康代女史に多大な助力をいただいたので謝意を表する。

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宿泊していたホテルの窓から。オーベルジュを兼ねた施設なので、庭がとても美しい。
庭の向こうに見えるのはホスピス。さらに向こうの高台には、旧市街が広がっていた。

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