シリコンバレーとは、イノベーションではなく繰り返しの歴史である(前編)【ゲスト寄稿】

vinnie-lauria_portrait本稿は、シンガポールとサンフランシスコに拠点を置き、シード・スタートアップ向けファンドを手がける Golden Gate Ventures のパートナー Vinnie Lauria による Forbes への寄稿の翻訳である。彼の同僚でもある、Jeffrey Paine は、THE BRIDGE のアドバイザーを務めている。本稿の翻訳掲載にあたっては、原著者である Vinnie Lauria の許諾を得た。

The Bridge has reproduced this under the approval from the story’s author Vinnie Lauria.


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シリコンバレーの眺望(Wikipedia から)

シリコンバレーは、一般的に裸一貫から身を立てるアメリカ流個人主義やダーウィン進化論的な生き残り方を象徴する存在としてよく語られる。つまり、優秀な発明家が自宅のガレージや大学寮の一室で始めた研究を、年間10億ドル規模の大企業にまで成長させていくという立身出世話だ。

独創的な思考と独立独歩こそがシリコンバレーの基本精神であり、一度に画期的な技術革新をもたらす——従来からあるこのような見方の中に、真実の核心を見出すことができる。ここでよく引き合いに出されるのは、Palo Alto のガレージから身を興し、HPを創業した Bill Hewlett と Dave Packard の話だ。

しかし、シリコンバレーを他の技術開発拠点から際立たせているのは、イノベーションではなく、繰り返し実行しようとするその意思だ。この地で、スピリチュアル・ゴッドファザーの異名を持つ Hewlett とPackard でさえ、最初はディズニーのために、当時からさかのぼること40年以上も前に初めて開発された技術である、オーディオ発振器を製造していた。

最近では、大手のテック企業が Quora などといったスタートアップを輩出するするようになり、従来から存在するアイデアを実現しやすくするために、人的資源と商品開発経験の両方を活用している。Quora を例にとると、インターネットQ&Aサイトというものを最初に開設したのは、Quora の創始者らではなかった(1996年にAsk Jeeves、2005年にYahoo Answersが開設されている)。彼らはFacebookで勤務していた頃の経験を応用し、Facebook 的なユーザインターフェイスを、整理されたQ&A形式に取り込んだ。

おそらく同社が、クリエイティブなプロダクトを生み続ける、シリコンバレーの隆盛と卓越から学んだ最も重要なことは、イノベーションは他との関連性を持たずには起こりえないということだ。むしろ、数多くのプロダクトの繰り返しや失敗は、後に生み出される新しいプロダクトや企業のフレームワークとなっている。

「Traitorous Eight(8人の反逆者)」は、繰り返すことによって成功した

トランジスタ発明者の William Shockley の話は、単に技術的なイノベーターというものではなく、アイデア収集と人材獲得の役割という面において、特にシリコンバレーを象徴している。Shockley は元々、電子通信業界独占企業で20世紀で最も成功したAT&Tの子会社 Bell Labs に勤務していた( Bell での功績に対し、7つのノーベル賞を受賞している)。

Jon Gertner の著書「The Idea Factory(邦題:世界の技術を支配する ベル研究所の興亡)」でも語られているが、トランジスタのアイデアは、Shockley とBellのチームメンバーとの共同作業と競争関係から生み出された賜物だ。ノーベル賞を受賞した後 Shockley は Bell を離れ、トランジスタの商品化を目指して、シリコンバレーで自らShockley Semiconductor Laboratoryという会社を設立した。

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8人の反逆者(Wikipedia から)

Shockley の研究所は失敗に終わろうとしていたが、彼の傲慢な経営スタイルに抗議する形で離脱した「Traitorous Eight(8人の反逆者)」によって、Fairchild Semiconductorという姉妹会社が作られた。Fairchild の設立者らは、最終的に自分達の半導体企業を設立することに成功した。その中には、今日よく知られているIntelやAdvanced Micro Devices、そして他社に対して多額の資金投資を行ってきたベンチャーキャピタルの Kleiner Perkins Caufield & Byers などがある。

シリコンバレー発のイノベーションというと、1977年に発表されたApple II パーソナルコンピュータなどを代表的なものとして思い浮かべがちだが、Apple II のような製品が生まれた本質的な背景は、突出した発明家として Steve Jobs や Steve Wozniak が居たから、というだけではない。

そこには、トランジスタ産業における、30年にも及んだプロダクト開発の失敗の繰り返しがある。例えば、2人の発明には、Stanford Research Institute の Douglas Engelbart のラボを訪れ、グラフィカルユーザインターフェース(GUI)とマウスに出会ったことが強く影響している。このようなケースにおいて、シリコンバレーは繰り返しのノウハウに加え、強力なネットワークと研究者が集う場を作り出しているとも言える。

Farmville が大ヒットした理由

イノベーションではなく、繰り返しによって成功した最近の例としては、Zynga のヒット作 Farmville が挙げられるだろう。

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Farmville のコンセプトは、1996年にSuper Nintendo ゲームとしてリリースされた、「Harvest Moon」という日本のシミュレーションゲームが元になっている。その後、2008年には、中国の 5 Minutes(五分鐘)が開発したソーシャルネットワーク型牧場ゲームのHappy Farm(開心農場)が Tencent(騰訊) QQ のプラットフォームでリリースされた。

<関連記事> ZyngaがFarmVilleを開発する際にマネた、中国で最初にヒットしたソーシャルゲーム作品の盛衰

これらの先行したサービスのコンセプトを大いに活用し、2009年に Zynga は Farmville をリリースした。Zynga の製品開発担当VP Mark Skaggs が記しているところによれば、開発チームの当初のアイデアは、Facebookのリアルタイムストラテジーゲームを作ることだったという。既存のフレームワークを元に開発されたのがこのゲームの特徴であるが、Skaggs は その開発プロセスを次のように説明している。

私たちの会社には、いくつものチームがそれぞれ別のゲームを開発していましたが、他のチームが開発に使ったコードをかき集めて自分たちの開発に使ったりして、ゲームを少しでも早くリリースさせようとしました。

例えば、FarmVille のアバタークリエイターは YoVille から拝借したものです。他にも、Mafia Wars や Poker のチームから借りたものもあります。バックエンドでも、データトランザクションなど、多くのサーバコードに関わる技術は、他のチームのものを活用しました。

Farmvilleは、アイデアの段階ではユニークなものではなかったが、シンプルかつエレガントに資源蓄積型ゲームでゲーマーがハマりやすいポイントを作ることができたという点においては、非常に優れていた。

Shockley のトランジスタと同じく、イノベーションよりも繰り返しのソフトウェア開発によって、成功プロダクトのリリースを導く開発プロセスが加速した。

後編に続く)

本稿の執筆には、Hippo Reads の Jeff Putnam が協力した。

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