「月100万円の部屋」なぜ売れる?——渡米10年目の日本人起業家、PMFプロセス独占取材【前編】

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内藤聡氏

あのまま続けていたら死んでいた。

そう語るのは、リモートワーク環境完備のサービスアパートメント「Anyplace」創業者の内藤聡氏。スタートアップは生死を繰り返しながら勝ち筋を見つけると言う人もいるが、まさにいまリビングデッドの縁から蘇り、引く手数多のマーケットニーズを一身に受ける日本人起業家だ。

本メディアでは過去に2度ほど同社そして内藤氏を特集したことがある。内藤氏と筆者の仲は、2014年に同じタイミングでサンフランシスコへ移住したところから始まっている(詳細は下記リンクより)。Anyplaceのアイデアが生まれた現場を共有し、そして1度目のPMF達成も取材をした。そして今回は2度目のPMFを達成したという報せから本記事の執筆に至る。渡米10年目の内藤氏、そして名実共に“アメリカ”のホテルブランドへと進化を遂げたAnyplaceに迫った。

コロナ禍でのピボット

Image Credit: Anyplace

大半の不動産、旅行、観光事業者がコロナの影響をダイレクトに受けたように、Anyplaceも売上が著しく下がり、ピボットをした経緯を持つ。

全米中のホテルやサービス付きアパートメントと契約して、Anyplace名義で空き部屋の貸し出しを斡旋していたマーケットプレイスモデルから、部屋を丸ごと借り上げて運用するマネージドマーケットプレイスモデルへと事業内容を転換したのだ。いずれも30日以上の月額賃貸モデルに変わりはないが、在庫の有無で大きく事業方向性は変わった。(ちなみに大きく不動産市場の事業である点は変わらないが、ターゲット顧客から運用方法、収益モデルまで全て変更していることから、この動きはピボットであると内藤氏は語る)

マネージドマーケットプレイスモデルの代表例はWeWorkである。必要数の不動産在庫を持って自ら運用をするため、初期投資がかかるといったリスクは存在するが、ブランド側はかなりの部分まで内装や運用をカスタマイズできる。

内藤氏はコロナ禍で新たな自社ブランド「Anyplace Select(以下Select)」を立ち上げた。従来運用していたマーケットプレイスモデルと並行して、デジタルノマド顧客の中でも、仕事をしながら拠点を転々とする生産性重視の人のための部屋を若干数、実験的にSelectのブランド下で提供を始めたのだ。Selectの部屋では高級ワークチェアやデスク、Wifiが完備されており、オフィスより快適な仕事場を提供するのが売りであった。当時を振り返り次のように内藤氏は語る。

Image Credit: Anyplace

コロナ禍、GoogleやFacebook(現Meta)の社員が仕事をしながらバケーションレンタルをするようになりました。しかし自宅やオフィス環境のクオリティで仕事ができないという課題が浮き彫りになり、デスクやWifiが欲しいというフィードバックを受けたんです。そこでまずは1部屋を借り上げて、こうした生産性を気にする人向けの賃貸サービスを実証実験的に展開してみることにしました。

モニターやデスク、Wifiなどを自分でリサーチをしてフル装備で部屋に実装してみたんです。あとはCraigslist(米国の巨大なコミュニティサイト)を使って小さく売り出してみました。運良く最初の顧客としてFacebookのデータサイエンティストが利用してくれて、「Facebookのオフィスよりいい」とコメントをくれるほど、とても好評でした。それを裏付けるように、最終的には延長をして1年近く滞在してくれました。

従来のマーケットプレイスモデルは在庫リスクがなく、スケーラブルだが質を担保するのが難しい。たとえば、Airbnbではレーティング制度を敷いているとはいえ、部屋の質までは担保しきれない問題を抱える。ウェブサイト上の写真と、現実に大きな違いがあったという声も挙がる。こうした課題が民泊市場でも挙がっていることから、業界ではマネージドマーケットプレイスモデルに名実共に注目が集まっているとも語る。

高価格帯はニッチな勝ち筋

内藤聡氏

現在Anyplaceはサンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、サンディエゴの4都市のみの展開となっている。たとえばロサンゼルスでは映画の撮影クルーが滞在したり、ニューヨークでは大きなディールを決めるために現地入りするコンサルタントや弁護士が利用しているという。詳しい事業モデルに関して内藤氏は次のように語る。

Anyplaceは高価格帯路線に舵を切っています。ざっと平均して月額3000ドル、ニューヨークであれば10,000ドル程度でサービスを提供しています。こうした高価格な賃貸にペイできるハイエンド層にターゲットを絞っています。なぜハイエンドかと言えば、不動産ビジネスはどんな価格設定にしたとしても、運用コストがあまり変わらないためです。

チェックイン管理から掃除に至るまで、ターゲット顧客を低価格帯にしようが高価格帯にしようがプロセスと労力はあまり変わりません。そのため単価を安くしてしまうとマークアップはほとんど取れません。逆に高価格帯であれば同じ運用コストであっても、マークアップを高く積むことができ、利益を最大化できます。

マークアップは平均50%、繁忙期は100%くらい(原価に倍の額)乗せても利用してもらえます。アメリカはマンスリーマンションが少なく、仮にあったとしても高いしボロい。そのためビッグテック社員のように収入のある人が利用してくれます。こうした十分な予算を持った人が多くいるのが日本との違いでしょう。

賃貸サービスのウェブサイトにデスクの有無やWifi環境状況が書かれているとはいえ、実際にどの程度のクオリティなのかわからない一抹の不安が残る。しかし、高級価格帯の顧客は時給数万円で働いている場合もあり、もしサイト情報と現実に乖離があれば、それは著しい生産性損失に直結してしまう。Anyplaceではこの課題を解決し、情報の信用性を保証していると語る。

Image Credit: Anyplace

ただ、一見すると大手ホテルブランドがすでに満足させている市場ニーズだと思われるが、そうではないと内藤氏は語る。

わたしたちが参入している領域はニッチだと思われており、直接競合は見当たりません。その理由に市場機会の「穴」が挙げられます。というのも、既存の不動産企業やホテルブランドが急にノマド向けのパッケージを展開してしまうと、既存顧客のリテンションが著しく下がる可能性があります。

たとえばヒルトンホテルが設備投資として全室にハイエンドなモニターやデスクを導入できるかといえばかなりの設備投資となりますし、既存顧客やブランドをいい加減に扱っているという風に捉えられてしまう場合もあります。そのため必然的にデジタルノマド市場取り込みは優先度が下がります。

不確実性が大きすぎる、まさにイノベーションのジレンマです。他方、スタートアップではこの領域は初期投資がかかりすぎてオールインできません。市況的にキャピタルインテンシブなモデルは敬遠されがちです。ここに市場機会の「穴」があるんです。

Anyplaceはちょうどアーリーステージとレイターステージの真ん中にいる。アーリーステージの企業はこの領域へ手を出そうと思ってもキャッシュ上の問題から参入障壁が高い。老舗ホテルブランドや、ZeusやBluegroundといったスタートアップ畑から成長したレイターステージの企業も、既存顧客離れを恐れて不確実な領域へと足を踏み入れることはしない。この中間に市場機会が発生しているのだ。

市場ニーズが検証されれば、多くの競合が押し寄せる可能性はたしかにあるが、それまでにブランドネットワークを広げておくなどして差別化を図る算段だ。また、滞在中に誰かと繋がりたい欲を顧客が持っているので、ローカルマネージャーが現在も隔週でアクティビティを開催したりしており、こうしたコミュニティへの投資を広げようとしているとのことだ。

2度目のPMFこそが、“真のPMF”だった

内藤聡氏

Anyplaceの事業アイデアの着想から10年。小さな気づきを基に、大胆に事業を変えていく必要があると内藤氏は振り返る。

コロナの影響は正直大きく、売上は急に半分になりました。このままでは会社が死ぬ、と強く感じていました。しかし大きな事業を作る意志は全く揺るがなかったため、イグジットするといった選択肢は一切よぎりませんでしたね。

そこでコロナだからこそ提供できる価値を追求して、生産性に特化した長く滞在できる宿泊サービスへと行きつきました。このままのペースで2,000室前後を運用できれば年間数百億円の売上見込みが立ち、上場へと踏み込んでいけます。

ピボット前のマーケットプレイスモデルでは、年間のGMV(流通取引総額)が100-200万ドルあり、PMFできたと言えなくもないが、市場ニーズは現在のモデルの方が比ではないと言う。その上で、PMFは統一的な定義はないものであり、繰り返し感じるものであるとも語る。

著名VCのAndreessen Horowitzのアンドリーセン氏が「PMFしたらマーケットにプルされる(引っ張られる)」と言っていますが、ほんとにその通りだと今になってようやく感じられました。以前のモデルではスタートアップライクな成長ではなく、年間100-200万ドルのGMVを積み上げていくような形でしたが、いまのモデルに切り替えたら2年ほどで300万ドルのGMVを叩き出すほどまでに到達しました。これがマーケットに引っ張られていることか、と体感して初めてわかりましたね。

このまま年内1,000万ドルGMVの到達も視野に入っています。どんどん売上が上がっている「力学」を体感しています。PMFしていない状態は小細工でどうにかなるものではありません。ピボットはかっこよくありませんが、中途半端なリビングデッドになるよりかはリスクをとってピボットした方が断然いいです。あの時の自分の決断は最善のものだったと今なら思えます。

Anyplaceのビジョン

内藤聡氏

Selectをローンチをしてから約2年ほど経過。いまはAnyplaceが運用する全ての部屋をSelectブランドにし、名称も本体ブランドの「Anyplace」へと統合、一枚岩で次のフェーズへ向かう。そんな内藤氏は最後にAnyplaceのミッション、ビジョンについて語った。

Anyplaceはインターネットの本質的価値を実現させることを目指しています。これまでは世界を旅すること、そして体験することは老後の夢でした。仕事場のある都市を離れられない問題があったためです。しかしインターネットが普及した現代、どこからでも働けます。インターネットは、どんな場所に行っても働きながら移動できる夢を叶え、自分が体験したい場所へ自由に行ける世界を実現させようとしています。

しかし不動産市場には未だギャップがあり、このインターネットのメリットを最大化できていません。この課題解決にAnyplaceは挑んでいます。どこでも働ける環境を整え、ライフスタイルを変革させることができれば、「仕事があるからリタイアするまで旅行の夢は我慢する」という生き方そのものも変わります。不動産はもちろん、人生設計もDXさせようと考えているのがわたしたちの現在地です。

当たり前になったインターネット、それが叶える夢のある世界の実現に不動産プレイヤーがキャッチアップできていない。この課題解決から導き出されたのがいまのAnyplaceのサービスとも言える。現代の働き方にマッチしたサービスは、最終的には私たちのライフスタイルを現代化させることを見据えている。私たちが世界中のあらゆる場所を体験できる未来の実現、このビジョン達成に向けていよいよグロース期へと向かっていくのがAnyplaceであり、真のPMFを捉えて次の跳躍へと進むのが日本人起業家、内藤聡氏だ。

後編に続く)

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