ギフティ上場のリアル:KDDIとの共創のはじまり、スタートアップはどう支援された Vol.2

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Open Network Labに参加した創業期のギフティ(写真提供:ギフティ)

本稿はKDDIが運営するサイト「MUGENLABO Magazine」掲載された記事からの転載

これはとある新社会人がスタートアップし、上場するまでのストーリーである。

彼はソーシャルメディアの可能性を感じ、人と人とが繋がる「ギフト」で新たな世界を創ろうと考えた。2010年に創業した社員数人の小さなスタートアップは、いくつもの支援を受けながら幾多の困難をクリアし、社会の公器となるべく2019年9月、東証マザーズに上場を果たした。ギフティという名前でスタートアップした彼らは、創業時「ソーシャルギフト」という新しい概念を提唱し、その後のeギフト市場で着実に成果を出し、現在もなお成長を続けている。

このロングインタビューでは、スタートアップのリアルとして、KDDI ∞ Labo第一期生であるギフティ創業者、太田睦(むつみ)氏と共にその上場までの道のりを辿る。後に続くスタートアップ起業家、そしてその成長を共に共創しようと試みを続ける大手各社のヒントになれば幸いだ。(文中の質問は全てMUGENLABO Magazine 編集部、回答は太田氏)

KDDIとの共創の始まり

2010年代のスタートアップ、起業を語る上で重要なキーワード、それがアクセラレーションプログラムだ。2000年代後半に北米のTechStarsや Y Combinatorらが編み出した、シード期をバッチに分けてリーンかつ大量に立ち上げるスタートアップの手法は瞬く間に世界中に広がり、その波は日本にも2010年頃にやってくることとなる。

新興の独立系ベンチャーキャピタルに加えて事業会社としていち早くプログラムを開始したのがKDDI ∞ Laboだった。アクセラレーションプログラムとして先行していたOpen Network Labo(ONL)を卒業したギフティはその後、KDDI ∞ Laboの門を叩き、ONLに続き第一期生として参加することになる。

そしてここから、ギフティとKDDIの共創が始まる。

ONLを卒業後、KDDI ∞ Laboに入るわけですが、アクセラレーションプログラムをなぜ「ハシゴ」したんですか

太田:2011年3月にベータ・ローンチした時はウェブしかなく、次に作ったのがiPhoneアプリだったのですが、その次にAndroidもやろうと考えていた時、ちょうど、KDDI ∞ Laboが始まるという話を聞いて。ああ、これはいいタイミングだということで応募させてもらった、というのが経緯ですね。

当時はどういう評価でしたか

太田:凄く好意的な印象を持っていただいた、というのを覚えています。特に塚田(俊文氏、初代KDDI ∞ Labo長)さんは何でも褒めてくれるんですよね。とにかく来ればいいじゃない!みたいなマインドの持ち主で(笑。スタートアップのことを第一に考えてくれる応援者なんだなと感じましたし、すごくポジティブな気持ちにさせてくれました。採用された案件としてもソーシャル関連は少なかったですし。ちなみに同期はソーシャルランチで、最後のピッチも彼らが優勝していましたから意識はしていましたね。

その後、KDDI本体から出資も実施されたんですよね

太田:最初の調達が2011年の2月ぐらいだったので、次のラウンドをやろうとKDDIさんにも相談させてもらってました。当時はまだCVCもなかったので、そのプロセスはすごく難しかったのを覚えてます。Q&Aの量が半端なかったり(笑。先方役員との面談は逆にいい思い出ですね。ただ、このタイミングでKDDIさんに株主になってもらったことはその後に繋がっていくのですごくよかったと思ってます。

ーー少し補足しておこう。2011年に立ち上がったばかりのKDDI ∞ Laboは出資をするための仕組み(その後のKDDI Open Innovation Fund、KOIF)が準備中という状況だったので、「必ずしも出資を伴わないインキュベーション」という、他のプログラムとはやや異なる立ち位置での船出となっていた。

現在はプログラムだけでなく、様々なルートから期待値の高いスタートアップにはKOIFからの出資が定番になっているのだが、当時はその仕組みがなかったので、ギフティについては異例のKDDI本体からの出資という手法が取られることになる。当時の連結売上約3.5兆円(2011年〜12年頃)の巨大企業が数人のスタートアップの出資可否を役員会にかける。これもまた、日本のスタートアップエコシステムの立ち上がりを感じさせるエピソードだ。

太田氏の話に戻ろう。

KDDI ∞ Laboと言えば営業支援に期待されるケースが多かったと思いますが、当時の支援はどのようなものでしたか

太田:auのこういったものを利用できるんじゃないかとか色々議論していたんですが、僕らが当時持ってた商材がローカルなカフェだったので、お世辞にも使い勝手はよくないよねというのは正直ありました。ただそういった中でこれは独自の営業だったんですが、ファミリーマートさんと提携してクリスマスにファミチキが友だちに送れるよ、というキャンペーンをやったんです。その延長で、auスマパスの会員には通常1回しか参加できないところを2回使えますよという企画をやったんですね。これがauユーザーのみなさんにかなり幅広く周知してもらうきっかけになったんです。

ファミポートっていう端末があるじゃないですか。あれがまだ立ち上がったばかりで、伊藤忠商事さんがビジネス化を色々と検討されていたんですね。それで「eギフトっていう切り口もあるじゃないか」ってことでお問い合わせを頂いただいたのが最初なんです。ただ、当時はローカルカフェ中心でラテアート世界一のラテが飲めますみたいなのをやっている商品の横にいきなりコンビニのお買い物券が並ぶのは違和感ありましたね。一万店舗で使えるって言う利便性があるのでとにかくやった感じでした。

アクセラレーションプログラムの卒業後に大きく成長するきっかけがやってくるわけですが、そこを詳しく教えてください

太田:ファミリーマートさんとのキャンペーンが何回か続いた後、飲料メーカーさんから使いたいというリクエストをいただきました。メーカーから一方的にギフトを配るのではなく、ユーザーさん同士で贈り合ってもらうみたいな形式がうまく回っていたので、先程のauスマパス会員だったら参加できる、というパッケージを作って何度か提案していたような流れですね。

その裏で、その後の成長のきっかけになるスターバックスさんへの提案が始まってました。実はKDDI ∞ Laboに参加しているタイミングでトライアルは実施したんです。しかし、そのトライアル自体は最終的に失敗で終わってしまうんですね。理由としては店頭でのオペレーションがやっぱり課題になって。

なるほど

太田:当時のギフトって実は簡単にスクリーンショットとかで複製できてしまったんです。まあ、十円とか二十円のクーポン券だったらトレードオフできたかもしれませんが、一回数百円のコーヒーがそんな風になってしまうと店側も困るので、いかに一回しか使えないような電子のギフトを生成できるかというところがポイントでした。

実現するためにはユニークなバーコードを券面上に表示させて店頭のレジで読み取ってもらい、その情報をサーバーで消し込むっていうのを裏側でやる必要があったんです。当然なのですが、全店のレジにそれをやるわけです。ブランド側のコストも相当なものですし、当時のギフティってまだ数人のスタートアップだったので、そのサービスのためだけに投資するのは回収が難しいという判断があってもおかしくはないですよね。それで流れてしまった、というのが最初のトライでした。

ーー友人同士で贈り合うというeギフトのアイデアは、スターバックスを再度動かすことになる。しかしアイデアでは先行するものの、企業の信用や実績では力不足が否めないギフティ。結果、キャンペーン実施にあたって同社にはコンペ参加の条件が提示される。社員数名のスタートアップが臨んだそのテーブルには大手Sierを含め数社が顔を揃えていた。(次回につづく)

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