私たちがツイキャスをやめなかった理由(前半)

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2010年2月3日。Twitterが盛り上がりをみせる中、iPhoneを使ったライブストリーミングサービス「ツイキャス」が産声を上げた。

当時、インターネットからラジコンを操作できる「ジョーカーレーサー」を開発し、ブロガーを中心とするコアなユーザーの注目を集めていたサイドフィード(※)代表取締役の赤松洋介氏と同社取締役だった大森正則氏のふたりが生みの親だ。

まだiPhoneにフロントカメラが付いていない時代である。

時は流れ、200万人300万人とステップアップを果たしたツイキャスは2013年11月15日、ユーザーを400万人まで伸ばすことに成功した。133万人の大学生やティーンなど、24歳以下のユーザーが活発に利用するプラットフォームへ拡大。海外からの利用も進んでいる。

一見すると順調に成長しているツイキャス。しかし決して簡単にこのステップを踏めたわけではない。

実際、赤松氏はほんの数カ月前には、このサービスを売却する意向も示して行動していた。

それでも赤松氏と大森氏はギリギリのところで踏みとどまる。それはなぜか。私はこの数年、多くのサービス立ち上げを拝見し、やはりその多くがカジュアルに消えてなくなる現場を眺めてきた。ツイキャスとは何が違うのか。

赤松氏へのインタビューでその一端を探ってみたいと思う。

ツイキャスを襲った3つの危機

サイドフィードから切り出される形で2012年2月29日に生まれたツイキャス運営会社のモイは、神田にあった古びたビルから開放的な築3年目のオフィスへと移転していた。

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「ベンチャースピリットがなくなるんじゃないかって心配してますよ」とモイ代表取締役の赤松洋介氏がいつもの様子で明るく迎えてくれる。私はまず、赤松氏にこれまでの運営を振り返ってもらった。

ーーツイキャス400万人、予定通りに達成しましたね。ただ、これまで追いかけてきましたけど、かなりキツかった時期も長かったんじゃないですか

「そうですね。3回あるんですよ。キツかった時って。立ち上げてすぐのタイミングと3.11の震災、それとユーザーが増えてきた頃ですかね」。

ーーほう。

「出だしは実はよかったんです。初月で2万5000人が登録してくれた。しかも某社の株主総会で配信に使われたり。まあ、それはいろいろあって上手くいかなかったんですけどね。ただ、そうはいっても初年度は誰も配信してくれない時間が結構あって厳しかったですね」。

ーーコミュニティサービスの場合、大体は最初のユーザー獲得でつまづいてやめてしまう。誰も使わなかったってね。ツイキャスはどうやって集めたんですか。

「どうやったんでしょうね(笑。

コグレさん(ブロガーのコグレマサト氏)とかAppBankさんなどのアーリーアダプターが使ってくれたのが大きかったかな。でもそこから爆発するかというとそうじゃなくてじわじわ伸びてました」。

広告を回したわけでもなく、街頭でティッシュ配りをしたわけでもない。これは私も赤松氏も共通の認識なのだが、やはりプロダクトそのものがよかった、ということに尽きるのだろう。毎月2万人を地道に積み上げて、ツイキャスは初年度に25万人のユーザーを獲得する。

ただし、辛いのはここからだ。新しいもの好きのアーリーアダプターは飽きるもの早い。赤松氏もアクティブは常にユーザーの半分、1年前に登録したユーザーはもう使ってなかったと当時を振り返る。

赤松氏への質問を続けよう。

ーー震災が起こったのは2011年3月11日。公開して1年後ですね。

「まあ、あのタイミングで配信なんてしてられないですよね。ただ、サイドフィードで利益は出ていたのでその資金をつぎ込んだというか。数千万円を追加投資してサービスはなんとか続けてました」。

ーー状況も状況だしそこまで爆発してるわけでもなかった。金食い虫をやめる選択肢もあったはずです。どうして続けたんですか。

「やっぱりリアルにユーザーが使ってくれてたっていうのが大きいですね。iPhone4からインカメラが付いたじゃないですか。そこでユーザーの顔が出るようになって利用シーンが変わった。

頑張って配信しているシンガーソングライターがいたんですね。でも視聴者が少ない。よし、じゃあそれを増やそうとプッシュ配信を付けてみたり、変な人も入ってくるようになったからそれを排除しようとか、改善を続けるわけです。なんだかそういう応援したくなる気持ちが強かったのかもしれません」。

起業家とサービスというのは不思議なもので、親と子のように似てくることがある。赤松氏は業界のベテランとして後輩の起業家を気遣ったり、アドバイスしていることを耳にするのだが、なんだかそれに似たような状況をツイキャスは作り出していたようにも思える、といったら言い過ぎか。

いずれにしても赤松氏はツイキャスをやらなければならない理由があったといえる。

ーー改善を続けたら段々ユーザーが増えてきた。どのあたりで手応えを感じましたか。

「アーリーアダプターから段々ちょっと偏ったコミュニティの方が集まりだしました。まあ、このあたりは勘弁してもらいたいのですが、その後ですね。Twitterが学生に浸透したあたりで今のユーザー層が流れ込み始めた」。

ーー確変が始まったと。

「でもユーザーが増えてくると同時にサポートが増えてくるわけです。当然そこにかける資金はありませんから、今ある資金でどう凌ぐか。考えましたね」。

ーー通常であれば資金調達に動いたりしそうですが。

「まあ、その前に大森さんと2年やってきて、正直飽きてました。もうやめてもいいかなって」。

ーーなぜ思いとどまったのですか。

「マネタイズを一切やってこなかったので、そっちに切り替えて楽しんでみようかなと思ったんですよね。広告入れてみたり、アイデアを考えたり。それで1年半前にアイテムの仕組みを入れたんです。それで2011年の年末にこれぐらいの売上にならなかったらその時こそやめようと」。

サービスと事業というのはバランスだ。プロダクトに力を注ぎ急成長を目指すことと、マネタイズをテストして事業化への道のりを模索することは車輪の両軸のような関係になる。しかしこの例のように現実はそう簡単ではない。赤松氏はマネタイズへ思考をシフトすることで、サービスに対する飽きを一時的に回避できたという。

ーー達成したんですね。

「いや、だめでした(笑。結局どうしようかなって思いながらズルズルやってたら、2012年の夏になったんです。しかもユーザーへの課金には反発もあったし、漫然と日々を過ごしてましたね」。

ーーリミットを決めてスパッと決断する。こういう美談って溢れてますけど、現実はそんな奇麗なもんじゃないですよね。

「たまたま、他にやることなかった、というのもあったんですけどね(笑」。

ツイキャスを襲った3つの危機は、もしかしたら巷にあふれるよくある話に聞こえるかもしれない。劇的な伸びはないものの、プロダクトは確実にユーザーに受け入れられ、プラットフォームで有名になっていくユーザーを父のような眼差しで見守る赤松氏にはこのサービスを継続させる必要があった。

しかし、資金はどんどん限界点へ近づき、ついに赤松氏はサービスを手放すことを考える。彼らはどこで踏みとどまるのか。インタビュー後半ではその瀬戸際を同氏に聞く。(つづく


※ツイキャスは現在サイドフィードから会社分割されたモイで運営されている。

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